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だるまだらけ [西国三十三所巡礼]

けっこうけだらけ、ここはダルマだらけ・・・

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西国三十三観音霊場の第二十三番札所でもある「勝尾寺」は、
「勝運祈願」の寺として有名だそうな。
人生全てに「勝つ」として勝ち運を願い「勝ちダルマ」に託すのかな。

そして、境内のあちこちに小さなダルマさん(ダルマみくじの人形)が置かれている。

ひとぉつ・・・
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ふたぁつ・・・
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みぃっつ・・・
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ずらぁっとな!
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その光景が何とも印象的。

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ダルマさんと言えばこのカタチの人形。日本の郷土玩具の代表のひとつでもあり、
各地にいろんなダルマ人形があるが、まずひと目で分りますね。

元々は禅宗に縁がある達磨大師って僧侶。
サンスクリット語ではボーディダーマ(Bodhi-dharma)「菩提達磨」のことで
インドで生まれ5世紀後半から6世紀前半の人で、中国(斉)で活躍し、
中国禅の開祖とされています。
少林寺で壁に向って九年間、座禅を行ったことで手足が腐って無くなった
という伝説が一般的によく知られていますね。
その伝説に基づき手足を無くした座禅姿で眼光鋭く髭ぼうぼうの達磨大師。
その姿が置物や玩具として広まり、
宗教を超えた、押しも押されもせぬ日本人のソウル・キャラクターに。(^_^ゞ


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だるまさん、だるまさん・・・にらめっこや、だるまさんがころんだ。
だるま落しなど…子供の頃から親しみのあるキャラクター(今の子は…?)

雪だるまにダルマストーブ、だるま(サントリーオールドの愛称)をちびり。
あまり飲み過ぎると火だるま?・・・とは言わないか。

そうそう高校野球で徳島の池田高校の蔦監督は攻めダルマって言われていたな。
スポーツや選挙の必勝祈願によく登場する勝ちダルマの張り子。
願いを込めてまず片目を墨で塗り、達成したらもう一方の目を塗る風習。
あれって一般的には左目を塗って祈願し、成就したら右目を塗るのだそうです。
ただし、選挙の場合は逆なんだそうで・・・何故だかは知りませんが!

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お寺の奉納棚には、勝運祈願を達成成就されたのでしょう
両目を入れた勝ちダルマがひしめいています。
ここのお寺では「勝ちダルマ」を授かり、
己に勝って勝ち運をつかむ・・・すべては自分に勝つために。とあります。

受験・病気・選挙・スポーツ・芸事・商売等、ただ願い、祈るだけでは
何も成し得ません。「己の弱さに勝つ!」の精神こそ運を引き寄せることに
なるのかな。『天は自ら助くる者を助く』にも通じますね。


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「七転び八起き」ここの達磨さんたちは、風雨に曝されながらも
キリッと前を向いているように見えました・・・


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最後に達磨大師が説いた「二入四行論」。長くなるのでリンクだけ。(^_^ゞ


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2012.9/16、勝尾寺にて。

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西国三十三所巡礼 第二十三番札所 應頂山 勝尾寺 [西国三十三所巡礼]

西国三十三所巡礼、摂津の国(大阪府北部)は、 茨木の住宅街のお寺の次は、一気に箕面(みのお)の山中へ・・・

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23番札所『應頂山 勝尾寺(かつおうじ)』は、大阪府箕面市にあります。
約8万坪の広大な敷地は自然豊かで、春には3000本の桜が咲き競い、
秋は名高い紅葉スポットとして知られています。
この土日から11月中の土日祝にはライトアップ、夜間拝観があるようです。

創建は古く、奈良時代727年に藤原善仲・善算という双子の兄弟が草庵を
築いたことに始まります。後に、光仁天皇の皇子「開成」が2人に師事して
仏門に入り、「弥勒寺(みろくじ)」としました。
その六代座主・行巡上人の時に清和天皇の病を法力によって治したことで
王に勝ったと言うことで、清和帝より「勝王寺」と改名いただいたのですが
それでは畏れ多いと寺側は「王」の寺を「尾」と変えて名乗ったのだそうです。


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歴史は古いお寺のはずなんですが・・・施設や境内は新しい公園のようです。

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境内に入るには、まずショッピングセンターみたいな売店を通る仕組みです。

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当然の事ながらお土産やこんなもんやあんなもんが並べられています。
ここは「勝ちダルマのお寺」として有名なので、やたらとダルマだらけ・・・


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「山門」
トップ写真のように道路からも見えてましたが、道路に面した勅使門は
閉じられています・・・売店を通すため?
この山門は1603年、豊臣秀頼が再建。平成8年に修復完了されたもの。

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「仁王像」
修復されてそれほど経っていないので、まだキレイ。境内側には
カラフルな唐風の狛犬があったようですが、見逃しましたw

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山門の額は表が山号の「應頂山」、境内側は寺名「勝王寺」。
「王」って字、使ってるやん・・・!


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山門を抜けると、参道は大きな放生池(ほうじょうち)に架けられた
石橋を渡ることになります。

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水煙(ミスト?)の演出が何とも現代的。幻想的な光景で、この演出イイかも…


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「弁天堂」

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池の中の島に建てられています、これまたニクイ演出。


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自然豊かなのは良いですが、またまた階段連発でキツそう・・・


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途中、こんなアトラクション(?)、歩く「知恵の環」。
7駆さんが目を回しながら知恵を得たところ・・・(^_^ゞ


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「観音像」

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「一願不動尊」              「三宝はらい荒神堂」

先ほどの石段を登りきると観音池があり、水子供養の観音像が立っています。
左手には一心に願うと一つだけ叶えてくれる一願不動尊などもありました。

此処からまた石段を登っていくと、本堂や堂宇が建ち並ぶ広場に出ます。

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「本堂」

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「鐘楼」                「不動堂」

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「本堂」
ここも豊臣秀頼が再建したものを平成11年に修復。
安置されるご本尊は十一面千手観世音菩薩です。


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「納経所」
ここにもダルマさんが・・・おみくじになっているようです。

このお寺、清和帝が「勝王寺」と号して以来、源氏・足利氏等各時代の覇者達が
当山に勝ち運を祈る信仰の歴史をたどっている。
七転び八起き、不屈の精神をもって「己の弱さに勝つ!」ダルマ信仰と相まって、
勝ちダルマの寺となりました。

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「勝ちダルマ奉納棚」
願いが叶った勝ちダルマを奉納する場所、夥しい数のダルマさんが・・・

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「鎮守堂」               「開山堂」
お寺のあちらこちら、置けるところを見つけてはダルマが置かれています。

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「大師堂」               「賓頭盧尊者」

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「四国八十八ヶ所 お砂踏み」 

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しっかり四国八十八ヶ所も済ませました・・・


この後、坂道を登って・・・おお~ッと!脚が攣ってしまいましたw
情けない・・・脚を引摺りながらと言うか、また攣らないように気をつけながら

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「二階堂」
一番高いところにある伽藍、法然上人が祀られています。此処で暫く休憩。

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「多宝塔」
少し下ったところにあります。眺めはなかなかグー♪

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ぐるっと山道を回って降りてくると、また観音池のところに出ます。
観音池と多宝塔の位置関係も絶妙、見せてくれます。

脚の調子も・・・なので、薬師堂・奥の院へは行かず帰ることに。
この日は総持寺に続いて2軒目、ここがこんなにキツイとは思ってもみなかった。
ちなみに薬師堂は鎌倉初期に建立された現存する勝尾寺最古の木造建築物。
奥の院はかつて「弥勒寺」として本堂が建っていた場所で、
今はその場所に弥勒菩薩像が置かれている。周辺には「文殊堂」、
「納骨堂」、「六角堂」などがあるようです。


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2012.9/16、勝尾寺にて。


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○宗派:真言宗 ○開基:開成皇子
○御本尊:十一面千手観世音菩薩 ○創建:神亀4(727)年

御詠歌「重くとも 罪には法の 勝尾寺 ほとけを頼む 身こそやすけれ」

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西国三十三所巡礼  第二十二番札所 補陀洛山 総持寺 [西国三十三所巡礼]

第五番札所「葛井寺」以来の大阪府のお寺です。ここには「亀の恩返し」の話しが残っています。

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『補陀洛山 総持寺(ふだらくさん そうじじ)』は、
大阪府茨木市の住宅地の中に、どど~んとあります。
駐車場は無人ゲートのチケット式。納経所で機械に通してもらえば無料になります。

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「手水鉢」
センサー式で、前に立つと水が出てくるエコな機構。


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仁王門は結構立派、左右に賽銭箱も装備されていますw

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仁王像はここでは珍しく古そうなものですが、何時頃の誰の作か等は判りません。

お寺の創建は古く、890年。しかし織田信長に焼かれ、豊臣秀頼により
本堂などは再建されています。よく聞くパターンです。

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仁王門の内側には
ガチャポン式のおみくじ販売機!・・・何ともねぃ。


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「開山堂」
懸造りの新しい伽藍です。包丁式はここで行われるのかな?


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「納経所」
近代的な建物です。グッズ販売もあり、納経帖など他所より安いのだとか。
駐車料はここで精算、無料になります。この前を抜けると直ぐ下が駐車場です。


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「庫裏」
芝生に敷石、石庭ですかね・・・よく見ると、コンクリートでした!


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「鐘楼」                「地蔵尊」
南無抜苦与楽地蔵菩薩の幟が立てられていました。何となく意味は判りますね。


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正面が本堂、結構いろんな伽藍が所狭しと配置されています。

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「大師堂」               「賓頭盧尊者様」


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「本堂」
1603年に豊臣秀頼の命により再建されました。この年は徳川家康が
征夷大将軍になり江戸幕府が開かれた年ですね。

総持寺のご本尊は、亀に乗った「千手千眼観世音菩薩」で有名です。

これには開祖、藤原中納言山蔭(やまかげ)。にまつわる話しがあります。
山蔭が子供の頃、父の高房(たかふさ)が太宰府への任地へ赴く途中、
淀川で大亀が漁師に捕まっているのを見て、その亀を買い取り逃がしてやった。
その夜、まだ幼い山蔭は継母の策略で川の中へ落とされてしまいます。
高房が知り、その無事を観音様に祈ったところ、山蔭を背中に乗せた大亀が
現れたのだそうです。昨日助けた大亀に命を救われた。
そのことに感謝した高房は観音像造立を決意するが、叶わぬまま逝去。
父の遺志を継いだ山蔭は観音のお告げにより、
長谷寺の(観音の化身である)童子に千手千眼観世音菩薩を彫っていただき、
本尊として開基したという「亀の恩返し」のエピソードは、今昔物語集にも
書かれている有名なお話しなんだそうです。

だから?ここの池には亀さんがいっぱい。乗れるほど大きな亀はいないけど・・・

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なお、ご本尊の秘仏ですが毎年4月15~21日に開扉されます。
信長に焼討ちされた際、下半身だけは焼け焦げたが上半身は金色に輝いていた
とかで、「火除け観音」としても信仰されているそうです。


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「閻魔堂」               「五社稲荷大明神」

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??


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「東門」                「竜宮門」?
東側にある山門と竜宮門風の通路、総持寺にはパンフレットが無かったかな。
公式HPにも境内の配置図や伽藍、寺宝などの説明が見当たりません。


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「鎮守社」               「包丁塚」

包丁塚に関しては、先ほどの亀の恩返しの話しの続きがあるのです。

観音様のお告げで童子姿の仏師に仏像の作成を依頼すると、「観音像を刻む
千日間は決して仏舎に入らぬこと、そして中納言藤原政朝(山蔭)自身が
千日間、自分の為に料理を作ること」と告げられます。
そして千日目の朝、山蔭が仏舎に入り確認すると童子は空に飛び立って行き
亀の背に乗っている素晴らしい出来の千手観音像が残されており、
その前には千日間山蔭が作った食事がお供えしてあったそうです。

この「中納言の千日料理」のエピソードから、藤原山蔭は「包丁道の祖」と
崇められるようになり、総持寺では毎年4月18日に「山蔭流包丁式」が行われ、
料理技術の上達を願う料理人や一般の参拝客で賑わうのだそうです。


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「金堂」                「井戸」
薬師如来像が安置されているようだが、それほど規模は大きくない金堂。
何やらお供え物が綺麗に置かれてある井戸?詳細は判りませんでした。


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「普悲観音堂」

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ここは「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」の第六番札所ですが、この観音像、
同じものを既に2度見ています。西国三十三ヵ所巡礼をすると3ヵ所で
重複するようです。

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「普悲観音像」の周り、堂の壁面には西国三十三ヶ所と四国八十八ヶ所の
各札所の本尊を刻んだ石仏が並べられており、お砂踏み場となっています。


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「ペット納骨供養塚」

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「不動明王堂」             「荒神社」「経蔵」

伽藍はひしめいていますが、境内はそれほど広くなく、何たって平坦♪
楽ちんなお寺でした。(^_^ゞ


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2012.9/16、総持寺にて。百日紅(さるすべり)の花



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○宗派:真言宗高野山派 ○開基:中納言藤原山陰
○御本尊:千手観世音菩薩 ○創建:寛平2(890)年

御詠歌「おしなべて 老いも若きも 総持寺の ほとけの誓い 頼まぬはなし」

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第二十一番札所 菩提山 穴太寺 [西国三十三所巡礼]

京都府・亀岡市にある穴太寺(あのうじ)です。
パンフレットや資料では「あなおじ」と呼ぶことが多いですが、私の知る限り
地元では「あのうじ」と呼んでいます。

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亀岡市は京都市の西に隣接した古い歴史を持つ地域でもあります。
このお寺も飛鳥時代、705年に文武天皇の勅願により、大伴古麻呂が
薬師如来を本尊として開創したというのが始まりとされています。

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門前の道は生活道路、T字路に突然、仁王門が現れるって感じです。
写真の手前を少し歩いた所に民間の専用駐車場(有料)がありました。

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「仁王像」
あまり良い出来には見えなかった、傷みも激しいような・・・


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門をくぐると直ぐに何段か階段を下ります。半地下に来た感じ、道路が上に見えます。
門からだと境内を見下ろすことになります。

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真っすぐな参道を少し行けば直ぐに本堂です。こぢんまりしたお寺です。
ちなみに訪ねたのは7月1日、季節はまだ梅雨。この日も小雨が降っていました。


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「東門」(外から)           (内側から)
仁王門の他に、北門と東門からも入れるようになっていました。


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建物はほとんどが江戸中期のものですが、年数以上に古びた感じがします。


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「鎮守堂」               「鐘楼」


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「多宝塔」
ここのシンボル的な建物かと思われます。


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本坊書院「円応院」
円山応挙誕生地が近くでもあり、この名がついたのかな?
それほど広くは無いですが、丹波の山々を借景に多宝塔も入れた池泉式庭園が
見られるそうです。広縁に座ってゆっくり時を過ごすのも良いかも。
ちなみに本堂の拝観料(300円)とセット500円で入れます。
本堂とは渡り廊下で繋がっているようです。拝観しなかったもので。(^_^ゞ


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「本堂」

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懸け仏や扁額も多いですが、千社札がやたらと・・・


本堂内陣の厨子には本尊の薬師如来(絶対秘仏で開帳されたことがない)と
秘仏で33年に一度開帳される札所本尊の聖観世音菩薩立像が安置されている。

『撫で仏』と『身代わり観音』
本堂の右脇壇には、涅槃姿で等身大の仏様の像が置かれている。
この仏像、真新しいおふとんが被せられていて、お参りの方はおふとんを
めくって、仏像を直接触ったり撫でたり・・・
「釈迦如来大涅槃像」は鎌倉時代作といわれ、1896年当時孫娘の病気平癒の為に
参詣されていた信者の方の夢枕に現れ、そのお告げのとおり探すと本堂の屋根裏
から発見。本堂にお祀りし、治したいと願う身体の部分と同じ箇所を撫でると
病気が治ったとのことで、以来「なで仏」として信仰されているようです。

このお寺には胸に矢傷の残る聖観世音菩があり、それにはこんな説話が
『今昔物語集』に記されており、「身代わり観音」と呼ばれています。
今は昔・・・この地の郡司「宇治宮成」という者が、都の仏師「感世」を
呼び寄せ自宅に祀るため聖観音像を彫らせました。やがて完成し、その褒美に
宮成お気に入りの愛馬を与えるのですが、宮成は馬が惜しくなる。家来に命じ
京に帰る途中の仏師を矢で射殺し、馬を取り戻してしまいます。
ところが聖観音像を見ると胸に矢が刺さり血が流れ出ています。馬の姿も無く、
都へ使いを走らせ確かめると、感世と馬は無事に京に辿り着き、生きていた。
宮成は観世音菩薩が、身代わりとなり仏師の命を救うと共に、宮成が罪人となる
ことも避けようとしてくれたことに、自分の行いを深く悔い、改心したと言います。
その後、観世音菩薩が宮成の夢枕に立ち、胸の傷が痛むとして穴太寺の薬師如来に
平癒を願うため、当寺に聖観世音像を安置したのだそうです。

この聖観世音像は1968年(昭和43年)に盗難に遭い、未だに行方不明だそうです。
今は矢傷をつけた模刻のものが秘仏として本尊と共に33年に一度開帳されます。


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「宇治宮成の墓」             「地蔵池」


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「念仏堂」


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「三十三観音堂」             「地蔵堂」


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三十三観音堂の中を覗いて見ると、西国三十三ヶ所観音霊場のご本尊が
並べられているようです。砂も納められているようですから、ここをお参り
することで全ての西国観音霊場を巡礼したのと同じ功徳があるってやつですな。


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「北門」                「納経所」


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「納札所」               「賓頭盧尊者」


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2012.7/1、穴太寺にて。


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○宗派:天台宗 ○開基:大伴古麿
○御本尊:聖観世音菩薩 ○創建:慶雲2(705)年

御詠歌「かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声」

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第二十番札所 西山 善峯寺(完結編) [西国三十三所巡礼]

前記事のつづきです。何せ広い境内、見どころもアチコチに・・・

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経堂、多宝塔の前に“日本一の松”と言われる天然記念物「遊龍の松」があります。
樹齢600年の五葉松。以前は54mあったそうですが、松食い虫の被害に遭い
15m切断したそうです。それでも充分、ビックリしますが・・・

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全体像がどうしても写せませんでした。(^_^ゞ

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このお寺で有名な桂昌院お手植えの枝垂れ桜ともみじもここにあります。
遊龍の松の端には開山堂があり、源算上人117歳の姿の像が祀られています。
長寿のご利益があるらしいですが、何故か見逃しました・・・


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「幸福地蔵」(しあわせじぞう)
季節によって枝垂れ桜、あじさい、もみじの園が一望に見渡せる崖に
小さな懸造りの地蔵堂があります。中には約300年前のお地蔵様が立っておられる。
自分以外の人の幸せをお願いしましょう・・・ってことでした。


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「釈迦堂」
ここに祀られている釈迦像は石仏で、合掌されている珍しいお姿だそうです。

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九目結紋(ここのつめゆいもん)
このお寺ではアチコチでこの家紋を見ることになります。
これ桂昌院さんのご紋なんですねぇ~~(渡邊あゆみアナウンサー風に)
 私、録画して欠かさず観てます・・・NHK歴史秘話ヒストリア。(^_^ゞ
「大奥 シンデレラ・ストーリー」として桂昌院さんも取り上げられていました。
江戸時代、京都の八百屋の娘として生まれたお玉。とても家紋の持てる
身分ではありませんでした。それが・・・詳しくは後ほど。

さらに上へと登って行きます。

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洛中、東山三十六峰が一望できます。

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「出世稲荷」
坂の途中にお稲荷さんが。
ここからの眺望も素晴らしく、記念撮影ポイントになっていました。

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京都タワーも見えますね。
でもまだまだ登りの途中です・・・はぁ、 はぁ・・

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かなり登ってきました。もうひと息、奥の院の手前に休憩所を兼ねた東屋のような
「けいしょう殿」があります。景勝の地で桂昌院を祀る・・・って、
案内パンフにも駄洒落(?)で紹介されているとおり、ここからの眺望も見事です。
お堂の中央には傍らに子犬が寄り添う桂昌院の像が置かれています。

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「玉の輿」の語源となった桂昌院のシンデレラ・ストーリーをちょいと・・・

京都・堀川の八百屋の娘として生まれた名前を「お玉」という女の子、
まだ幼いときに父親を亡くします。支えを失ったお玉とその母は寄る辺を求め
この善峯寺に奉公に出ます。そんなお玉に、父親がかつて野菜を納めていた
縁で、下級武士ではありますが本庄家の養女になることが決まります。
(桂昌院の紋、九目結紋はこの本庄家の家紋なんですね)

そして、本庄家の紹介で公家出身の尼僧の待女となったお玉。13歳の時に、
尼僧が徳川三代将軍家光に謁見することになり、そのお供で江戸城に登ります。
そこでなんと家光は、尼僧に一目ぼれ、尼僧はお万の方と名を改め
家光の側室になります…そしてお玉も京都に一度も帰ることなく、
お万の方の侍女として江戸城大奥で暮らすことになります。

なんとなんと家光さん、19歳になっていたお玉をも見初め側室に!
ついに八百屋の娘、お玉は「お玉の方」と呼ばれる身分に。
信心深いお玉の願いが叶い、20歳で見事、男子を授かります。しかしその子は
家光の三番目の男子。世継になる可能性は薄かったのですが・・・
運命の女神はここでもお玉に微笑みかけます。家光の後を継いでいた
四代将軍家綱が突然病死。家綱には世継となる男子がおりませんでした。
次の候補である家光の二男・綱重はすでに亡くなっており、遂にお玉の子
綱吉が徳川五代将軍に!
時に、お玉(桂昌院)54歳。念願かなって将軍の母に。


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↑本堂にある「お守り納めどころ」
子犬が玉の輿を担いでいる姿だそうです。玉の部分に前年のお守りを納める。
これも桂昌院に因んだものですね。

綱吉と言えば「生類憐みの令」。犬公方と揶揄され治世の評価は低いですが
将軍になるまでかなりの年月がかかっている。その間も夢を諦めなかった母、
桂昌院は綱吉に学問や文化を身に着けさせたかなりの教育ママだったようです。
そんなインテリ将軍の時代は元禄。世は決して平穏じゃなかったようですね。
富士山が噴火したのもこの頃かな・・・大火や飢饉にも見舞われました。
政治的には水戸光圀(黄門さま)は生類憐みの令に反発して、
綱吉に犬の毛皮を送ったって逸話もあります。対立していたのですね。

母である桂昌院の悩みは次の将軍、後継ぎです。綱吉には将軍になる直前に
生まれた長男がいましたが、5歳で病死(七五三の祝いは、この綱吉の子の
健康を願ったのが始まりとされています)
その後、子を授かることがなく躍起になった(?)桂昌院は「子が授からないのは
仏教の功徳が足らないから」と考え、常識を越えた規模の功徳を積みます。
かつて幼少のころ身を寄せた善峯寺の大規模な復興はもとより、東大寺、
法隆寺、唐招提寺、室生寺などの有名なお寺や全国各地、数百に及ぶお寺の
復興に尽力されたようで、九目結紋を見つけたらここも綱吉・桂昌院が
助けたお寺なんだなと感じて下さい。ただ、そのせいで幕府の財政は困窮。
結局、願い叶わず世継もできず・・・1704年、59歳になった綱吉は、
自らの子を諦め養子を迎え入れます。その翌年、我が子の血筋を残すという
シンデレラの最後の願いは叶わないままその幕を閉じます。
桂昌院 死去(享年79歳)


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さて、奥の院に繋がる階段は・・・ふぅ~ッ!
興味の無い日本史話を読まされるのとどっちが辛いでしょう。(^_^ゞ

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奥の院「薬師堂」

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奥の院からの眺望はさすがに一番高台、素晴らしいです。

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「蓮華寿院庭」の池、「青蓮の滝」にもモリアオガエルの巣がいっぱい。

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??
奥の院よりまだ先(上)にありました。何だったのかな?

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???
これまた、何コレ!

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「阿弥陀堂」
もう中腹?まで下ってきました。

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緩やかな石畳の参道、ほっとします。  「本坊」の門。


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「遊龍の松」越しに「経堂」「多宝塔」がちらり・・・ここまで降りれば
もうすぐです。本堂、山門、そして駐車場まで。


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2000年にオープンした「寺宝館文殊堂」。 駐車場も近代的?

来た時はほぼ満車状態、アジサイ満開見頃だったしね。
帰りは、ここでもまた閉門時間まで居ましたから・・・

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おまっとぉ~はん。(=お待ちどうさま。たまには京ことばを♪)



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2012.6/24、善峯寺にて。


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○宗派:天台宗単立 ○開基:源算上人
○御本尊:千手観世音菩薩 ○創建:長元2(1029)年

御詠歌「野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立」

カッパのロードスター


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