第二十一番札所 菩提山 穴太寺 [西国三十三所巡礼]
京都府・亀岡市にある穴太寺(あのうじ)です。
パンフレットや資料では「あなおじ」と呼ぶことが多いですが、私の知る限り
地元では「あのうじ」と呼んでいます。
亀岡市は京都市の西に隣接した古い歴史を持つ地域でもあります。
このお寺も飛鳥時代、705年に文武天皇の勅願により、大伴古麻呂が
薬師如来を本尊として開創したというのが始まりとされています。
門前の道は生活道路、T字路に突然、仁王門が現れるって感じです。
写真の手前を少し歩いた所に民間の専用駐車場(有料)がありました。
「仁王像」
あまり良い出来には見えなかった、傷みも激しいような・・・
門をくぐると直ぐに何段か階段を下ります。半地下に来た感じ、道路が上に見えます。
門からだと境内を見下ろすことになります。
真っすぐな参道を少し行けば直ぐに本堂です。こぢんまりしたお寺です。
ちなみに訪ねたのは7月1日、季節はまだ梅雨。この日も小雨が降っていました。
「東門」(外から) (内側から)
仁王門の他に、北門と東門からも入れるようになっていました。
建物はほとんどが江戸中期のものですが、年数以上に古びた感じがします。
「鎮守堂」 「鐘楼」
「多宝塔」
ここのシンボル的な建物かと思われます。
本坊書院「円応院」
円山応挙誕生地が近くでもあり、この名がついたのかな?
それほど広くは無いですが、丹波の山々を借景に多宝塔も入れた池泉式庭園が
見られるそうです。広縁に座ってゆっくり時を過ごすのも良いかも。
ちなみに本堂の拝観料(300円)とセット500円で入れます。
本堂とは渡り廊下で繋がっているようです。拝観しなかったもので。(^_^ゞ
「本堂」
懸け仏や扁額も多いですが、千社札がやたらと・・・
本堂内陣の厨子には本尊の薬師如来(絶対秘仏で開帳されたことがない)と
秘仏で33年に一度開帳される札所本尊の聖観世音菩薩立像が安置されている。
『撫で仏』と『身代わり観音』
本堂の右脇壇には、涅槃姿で等身大の仏様の像が置かれている。
この仏像、真新しいおふとんが被せられていて、お参りの方はおふとんを
めくって、仏像を直接触ったり撫でたり・・・
「釈迦如来大涅槃像」は鎌倉時代作といわれ、1896年当時孫娘の病気平癒の為に
参詣されていた信者の方の夢枕に現れ、そのお告げのとおり探すと本堂の屋根裏
から発見。本堂にお祀りし、治したいと願う身体の部分と同じ箇所を撫でると
病気が治ったとのことで、以来「なで仏」として信仰されているようです。
このお寺には胸に矢傷の残る聖観世音菩があり、それにはこんな説話が
『今昔物語集』に記されており、「身代わり観音」と呼ばれています。
今は昔・・・この地の郡司「宇治宮成」という者が、都の仏師「感世」を
呼び寄せ自宅に祀るため聖観音像を彫らせました。やがて完成し、その褒美に
宮成お気に入りの愛馬を与えるのですが、宮成は馬が惜しくなる。家来に命じ
京に帰る途中の仏師を矢で射殺し、馬を取り戻してしまいます。
ところが聖観音像を見ると胸に矢が刺さり血が流れ出ています。馬の姿も無く、
都へ使いを走らせ確かめると、感世と馬は無事に京に辿り着き、生きていた。
宮成は観世音菩薩が、身代わりとなり仏師の命を救うと共に、宮成が罪人となる
ことも避けようとしてくれたことに、自分の行いを深く悔い、改心したと言います。
その後、観世音菩薩が宮成の夢枕に立ち、胸の傷が痛むとして穴太寺の薬師如来に
平癒を願うため、当寺に聖観世音像を安置したのだそうです。
この聖観世音像は1968年(昭和43年)に盗難に遭い、未だに行方不明だそうです。
今は矢傷をつけた模刻のものが秘仏として本尊と共に33年に一度開帳されます。
「宇治宮成の墓」 「地蔵池」
「念仏堂」
「三十三観音堂」 「地蔵堂」
三十三観音堂の中を覗いて見ると、西国三十三ヶ所観音霊場のご本尊が
並べられているようです。砂も納められているようですから、ここをお参り
することで全ての西国観音霊場を巡礼したのと同じ功徳があるってやつですな。
「北門」 「納経所」
「納札所」 「賓頭盧尊者」
2012.7/1、穴太寺にて。
○宗派:天台宗 ○開基:大伴古麿
○御本尊:聖観世音菩薩 ○創建:慶雲2(705)年
御詠歌「かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声」
パンフレットや資料では「あなおじ」と呼ぶことが多いですが、私の知る限り
地元では「あのうじ」と呼んでいます。
亀岡市は京都市の西に隣接した古い歴史を持つ地域でもあります。
このお寺も飛鳥時代、705年に文武天皇の勅願により、大伴古麻呂が
薬師如来を本尊として開創したというのが始まりとされています。
門前の道は生活道路、T字路に突然、仁王門が現れるって感じです。
写真の手前を少し歩いた所に民間の専用駐車場(有料)がありました。
「仁王像」
あまり良い出来には見えなかった、傷みも激しいような・・・
門をくぐると直ぐに何段か階段を下ります。半地下に来た感じ、道路が上に見えます。
門からだと境内を見下ろすことになります。
真っすぐな参道を少し行けば直ぐに本堂です。こぢんまりしたお寺です。
ちなみに訪ねたのは7月1日、季節はまだ梅雨。この日も小雨が降っていました。
「東門」(外から) (内側から)
仁王門の他に、北門と東門からも入れるようになっていました。
建物はほとんどが江戸中期のものですが、年数以上に古びた感じがします。
「鎮守堂」 「鐘楼」
「多宝塔」
ここのシンボル的な建物かと思われます。
本坊書院「円応院」
円山応挙誕生地が近くでもあり、この名がついたのかな?
それほど広くは無いですが、丹波の山々を借景に多宝塔も入れた池泉式庭園が
見られるそうです。広縁に座ってゆっくり時を過ごすのも良いかも。
ちなみに本堂の拝観料(300円)とセット500円で入れます。
本堂とは渡り廊下で繋がっているようです。拝観しなかったもので。(^_^ゞ
「本堂」
懸け仏や扁額も多いですが、千社札がやたらと・・・
本堂内陣の厨子には本尊の薬師如来(絶対秘仏で開帳されたことがない)と
秘仏で33年に一度開帳される札所本尊の聖観世音菩薩立像が安置されている。
『撫で仏』と『身代わり観音』
本堂の右脇壇には、涅槃姿で等身大の仏様の像が置かれている。
この仏像、真新しいおふとんが被せられていて、お参りの方はおふとんを
めくって、仏像を直接触ったり撫でたり・・・
「釈迦如来大涅槃像」は鎌倉時代作といわれ、1896年当時孫娘の病気平癒の為に
参詣されていた信者の方の夢枕に現れ、そのお告げのとおり探すと本堂の屋根裏
から発見。本堂にお祀りし、治したいと願う身体の部分と同じ箇所を撫でると
病気が治ったとのことで、以来「なで仏」として信仰されているようです。
このお寺には胸に矢傷の残る聖観世音菩があり、それにはこんな説話が
『今昔物語集』に記されており、「身代わり観音」と呼ばれています。
今は昔・・・この地の郡司「宇治宮成」という者が、都の仏師「感世」を
呼び寄せ自宅に祀るため聖観音像を彫らせました。やがて完成し、その褒美に
宮成お気に入りの愛馬を与えるのですが、宮成は馬が惜しくなる。家来に命じ
京に帰る途中の仏師を矢で射殺し、馬を取り戻してしまいます。
ところが聖観音像を見ると胸に矢が刺さり血が流れ出ています。馬の姿も無く、
都へ使いを走らせ確かめると、感世と馬は無事に京に辿り着き、生きていた。
宮成は観世音菩薩が、身代わりとなり仏師の命を救うと共に、宮成が罪人となる
ことも避けようとしてくれたことに、自分の行いを深く悔い、改心したと言います。
その後、観世音菩薩が宮成の夢枕に立ち、胸の傷が痛むとして穴太寺の薬師如来に
平癒を願うため、当寺に聖観世音像を安置したのだそうです。
この聖観世音像は1968年(昭和43年)に盗難に遭い、未だに行方不明だそうです。
今は矢傷をつけた模刻のものが秘仏として本尊と共に33年に一度開帳されます。
「宇治宮成の墓」 「地蔵池」
「念仏堂」
「三十三観音堂」 「地蔵堂」
三十三観音堂の中を覗いて見ると、西国三十三ヶ所観音霊場のご本尊が
並べられているようです。砂も納められているようですから、ここをお参り
することで全ての西国観音霊場を巡礼したのと同じ功徳があるってやつですな。
「北門」 「納経所」
「納札所」 「賓頭盧尊者」
2012.7/1、穴太寺にて。
○宗派:天台宗 ○開基:大伴古麿
○御本尊:聖観世音菩薩 ○創建:慶雲2(705)年
御詠歌「かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声」
カッパのロードスター
随分以前に、このお寺を訪問しましたが、記憶が薄れたことを気付かされましたね。
by たいちさん (2012-10-16 23:35)
おはようございます。
このお寺ははじめて知りました。
境内が静かそうですね。
千社札がすごですね。
by 京男 (2012-10-17 04:26)
★たいちさん、ありがとうございます。
こじんまり鄙びたお寺で、印象に残るものはあまり無かった気がします。
おふとんで寝ている仏様、撫でてきたらよかったかな・・・(^_^ゞ
★京男さん、おはようございます。
創建はかなり古いお寺でしょ、今の伽藍は江戸中期のものですが。
千社札は鳩公害より酷い気がします。
by 路渡カッパ (2012-10-17 11:08)
おはようございます
立派なお寺さんですね。
こんなものが、知りませんでした。
by すー (2012-10-18 04:44)
★すーさん、おはようございます。
おふとんを着た「なで仏」というのは有名なようで
TVでも何度か見ましたよ。
ここにあったとは知らずに行きましたが。(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2012-10-18 09:48)
あのうじの方が響きがいいですね。
どの写真をみても古刹って雰囲気が感じられて
よいですね〜ここでまったりと時間を過ごしてみたいです。
盗まれた聖観音像、どこいちゃったんでしょうね・・・
今頃、海外のコレクターとか?でしょうか。
by Cazz (2012-10-18 13:09)
行方不明の身代わり観音。きっと誰か行方不明だった人の身代わりになったのかも。その人は無事に帰れてめでたしめでたし、ということなのではないでしょうか。
本堂、多宝塔とも圧巻ですね。
スタンプラリーも随分進んだんでしょうね。
by sig (2012-10-18 15:18)
★Cazzさん、こんばんは。
穴太寺、いろんな読み方をするようです。ちょうど遠縁が住んでいて、その方達は「あのう」って言ってました。
この観音像、身代わりになったり盗まれたり・・・ドラマチックな運命ですね。
今は、いったい何処に居られることやら。
by 路渡カッパ (2012-10-18 18:57)
★sigさん、ありがとうございます。
行方不明の人の身代わり・・・それでちらっと思ったのですが
身代わり観音、何体かつくれば拉致問題解決・・・なんてことになれば良いのにね。(^_^ゞ
この後、まだ2ヶ所しか行けてません。まだ10ヶ所残っている・・・年内はムリそうですね。
by 路渡カッパ (2012-10-18 19:00)
「身代わり観音」いいお話でした
罪人が悔い改める展開って多いですね
それが観音様の御役目なのかな
by はなだ雲 (2012-10-20 17:16)
★はなだ雲さん、こんばんは。
よくありますね、こう言うお話し。それを集めたのが
「今昔物語集」なんですね。
昔の人はこんなドラマ仕立てで、教えを説いたってことかな。
by 路渡カッパ (2012-10-20 22:42)