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草レース、メモリー。 [フラッシュバック]

我楽多箱の中からゴロゴロと、想い出が出てきました。

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古い写真とは別に、がらくた箱に放り込まれていたトロフィー、
マジに残していた訳じゃないので、一部ですが出てきました。
もちろん何の格式も無い草レースでのトロフィーですが・・・(^_^ゞ

1980年代(私、27歳~37歳)は、バイク好きがこうじてモトクロスを。
といっても、あくまでお遊びレベルですが・・・
モトクロスって何じゃ?って方も居られるでしょうし、「あぁ、崖を登ったり
岩を乗り越えたり」って、よく言われますが、あれはトライアル。
最近では「空中で回ったり、手を放したり」・・・あれも違う競技ですw

モトクロスとはモーターサイクルクロスカントリーってことなんでしょうが、
MXと略すのは世界的に通用するようです。
専用競技車(モトクロッサー)で、不整地のクローズドサーキットでよーいドン、
競走する競技です。10分+2周、40分+2周とかのレースで、一斉にスタート、
ゴールする早さで順位が決まります。要するに早い者勝ち、単純なスポーツです。
よく混同されがちなトライアルとは使うバイクも違うし、こちらは速さじゃなく
技量を競う競技。設定されたコース(セクション)を、いかにバイクに
乗ったまま走り切るかを競います。セクションは10~15用意され、
周回するものではありません。順位は減点方式、足を1回地面につけると
1点減点、と行った具合に各セクションをトライしていきます。
一度も足をつくことなくセクションを走り抜ければ、減点0でクリアー。
減点数が少ない方が勝ちとなり順位が決まる試合です。
モトクロスとトライアルは、サッカーとゴルフくらい違う競技なんです。
競技の難易度ではトライアルはピカイチ?ロードレースなどはツーリング
ペースであれば誰でもサーキットを走れるし、モトクロスもフラットな
部分なら慣れれば誰でも走れますが、トライアルのセクションは、バイクに
乗れる程度ではまず走れないもんね。(^_^ゞ

モトクロスの魅力、ひと言では表せません。オフロード走行もやってみないと
分りませんが、バランスが必要な二輪で不整地を駆けるのですから楽しい。
そんなところで、よーいドンだから面白くってしかたない。(^_^ゞ
真冬でも汗だくになる、夏はもう地獄ですが・・・。オールシーズン、しかも
全天候。雪が降ろうが土砂降りの雨でも余程のことが無い限り中止は無い。
ワイルドなスポーツです。他のスポーツもそうですが、初心者と上級者の
差は大きいながら、同じレベルの者同士で競い合う楽しみも。

公式戦(MFJ公認レース)に出るにはMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)
発行のライセンスが必要で、この当時はA級・B級・ジュニア・ノービス
というクラス分けがされていました。最初はノービスクラスで、MFJの会員に
なって申請すれば発行してもらえます。
地方選手権などに出場し、規定の入賞ポイントを得れば、ジュニアに昇格。
頂点のA級を目指していくってことになります。
※現在のクラス分けはIA(国際A級)を頂点にIB(国際B級)、
NA(国内A級)、NB(国内B級)です。
その他に年齢・性別で、キッズ・ジュニア・レディースクラスがあります。


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私の場合、本格的にやるつもりはなく、公式戦なんて考えてなかったのですが
何事も経験、1年間だけライセンス(ノービスクラス)を取って、唯一、参戦
した時の写真↑だと思われます。まだ始めて2年目くらいの頃だったかな
ゼッケン86、結果は・・・後ろから数えたら入賞?(^_^ゞ

これはクラブの練習場でのスタート風景。
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モトクロスの場合、スタートは横一線に並びます(競馬と一緒)。多い時には
30台、それ以上の場合は後ろにもう1列、2列ってこともあります。
そこから、狭く絞られた第1コーナーに向かって一斉にフル加速で突っ込んで
行くのは、他のモータースポーツでは見られない醍醐味でもあります。
当時はスターティングマシンも普及していないので、ヘッドタッチスタート。
エンジンを掛けた状態で、左手をヘルメットに添えて待ち、フラッグが
降り降ろされると同時にクラッチレバーを握りギアを入れて発進するという
もので、ちょっとしたコツが必要でした。


左の髭にもじゃもじゃ頭の人物は、クラブの会長さん。風貌とともに性格も
かなり個性的、誤解もされやすい人でしたが、イイ人でした。すでに故人。
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このモトクロス場は、宇治の養鶏場団地の一角を借りたもので、私の所属した
チーム ファントム(YAMAHA)と京都ボブキャット(KAWASAKI)が共同で管理、
当時は朝、まずクラブ員でスコップ、ツルハシでコース整備でした。
後にこのコースは大々的に整備され、地方選手権も開催されたこともある
「チキンランド」というMXコースに発展したのですが、それも今年一杯で
閉鎖されるらしい・・・

このコースで当時、クラブ主宰のローカルレースが開催されていました。
草レースなのでライセンス不要、クラス分けも独断でAクラスは公式戦に
出ているような上級者(といってもノービスだったりしますが)、Bクラスは
そのノービスでも通用しないヘタレ。それにもついて行けない初心者は
Cクラスが用意されていました。これだけ分けてくれると、速く走れない
ライダーでも同じレベル同士でレースの醍醐味が味わえて楽しかったです。
このクラス分けでシリーズ戦として年間チャンピオンを決定するというもの。
レベルが違う、速過ぎると判断されるとシーズン途中でも昇格。その判断は
クラブ会長の胸三寸・・・

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超草レースなのに「京都スーパークロス」は厳ついですが・・・
私はBクラス、トロフィーが残っているのはこれだけですが、頭(1位)を
取ったこともあり、84年 年間チャンプを獲得♪ それでも昇格せず
確か次の年も年間ポイント1位で、チャンプ・・・会長の温情で?(^_^ゞ

私が体験したモトクロッサーでのレースは、ほとんどこのホームサーキットで
このシリーズ戦くらいなもの。タイヤやウェアなど賞品で潤ってました。

80年代後半は、市販車(一般公道を走れるトレール車)でのレースに
YAMAHA DT200R(37F)で参戦することも多くなりました。
市販車レースですから、ライダーのレベルもちょうどBクラス程度。
MXの公式戦に出ているようなライダーはまず来ません。(^_-)v

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エンデューロ(耐久)レースもあって、タッグを組んで参加するのも
楽しいものでした。当時はMXコースを使って1時間、2時間程度が
主流だったと思いますが、一人で走り切るにはちとキツイもんね。
そのくせ同日のスプリントレースにも参戦、スプリントレースは
10分+2周を2回、ヒート1とヒート2を戦って総合順位が決まります。


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先日、見られなくなったベーターのビデオテープをキタムラでDVD化して
もらったところ、この時↑のレースの模様が入っていましたのでYouTubeに。

出演 出場者〕

ゼッケン1番、ヨッシー君。赤シートのDT200R 赤ヘル・赤パン。当時30歳。
「ぽ集」にも何度かコペンで参加。

ゼッケン2番、あさしん君。青シートのDT200R 青ヘル・青パン。当時30歳。
「ぽ集」にはメルセSLK280やホンダTypeRなどで参加経験あり。

ゼッケン5番、1京都さん。125クラスでは黄色のバイクで、Sヒート2では
青シートDT200R、あさしん君の代走。エンデューロは私とタッグを組み・・・
白ヘル・青パン。当時39歳。
「ぽ集」ではお馴染の常連さん、いつも乗って来るバイクが違います。

ゼッケン3番は、わたくし。青シートDT200R 白ヘル(赤のストロボライン)
赤白パンツでヒート1は、赤袖のジャージー、ヒート2は白袖。当時34歳。

撮影はあさしん君の奥様、もう片手で撮れるようになった8mmビデオです。
それをベーターテープにダビングした映像が26年ぶりに・・・
画質が悪くて見難いですが、それもまた希少資料ってことで。(^_^ゞ

スプリント 125以上クラス ヒート1


スプリント 125以上クラス ヒート2



どうでもいいけど優勝は?・・・ありました!出てきましたよ証拠が
カワサキ中日本支部主催のエンデューロ、KAZE京都大会。
2時間エンデューロレースで、あさしん君とタッグを組んで優勝♪

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この日は発売したばっかりのKDX125SR、KDX200SRの試乗会も兼ねており、
その試乗車もエントリー、完全優勝を目論んで上級ライダーで参戦。
ダントツに速かったのですが・・・
慣らしが済んでいないエンジンを回し過ぎたのか、あえなく全滅、リタイア。
勝負にならんわ!と淡々と走り切った我々に予想もしなかった優勝が
転がり込んだという顛末。
何はともあれ、第1回のKAZE京都大会で、金字塔?\(^◇^)/


そんなこんなで楽しい想い出が甦りました。こんなトロフィーは捨てようと
思ってましたが、またガラクタ箱に放り込んでおきましょう・・・

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カッパのロードスター


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1980年代、モトクロス。 [フラッシュバック]

27歳の時、ひょんなことからMXクラブに入って、10年間ほどサーキットでのオフロードを楽しみました。

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私のバイク歴、10年目で大きな変動がありました。
ロードバイクからオフロード車へ、そして遂にモトクロスなんてものを始めました。
27歳、始めるには遅すぎる歳なんですが・・・もちろん、何かを目指した訳でもなく
動機はよく憶えてませんが、ストレス解消?
林道は公道なのである意味、大変危険。ブラインドも多いし、対面からも何が来るのか・・・
思いっ切り走れません。それに私、どうもツーリングより同じところをぐるぐる回る方が
性に合ってるってことで、クローズドサーキット通いをすることにしました。(^_^ゞ


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しかし、考えがスイーツでした! もともと体力も根性もない私。
モトクロス場、モトクロッサーは過激で過酷・・・。アクセル全開なんて、とんでもない!
初めて1周した時は、何ちゅうところを走るの!って。登りも下りもエゲツナイ。
私がこわごわリアブレーキを掛けてタイヤをズルズルいわせながら降りる下り坂も
先輩達はアクセル開けてカッとんで降りていく・・・「コイツら何考えるんやろ」って。

yz125_80.jpg〈同型参考写真〉

初めて乗ったのは、中古の YAMAHA YZ125(3R3・80年型?)まだ空冷でした。
有鉛ガソリンにカストロールのオイルを混ぜた、混合ガソリンで走ります。
この匂いがたまらなく好きでした♪超魅惑的・・・


ちょうどそんな頃、こんな映画が封切られました。
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〈参考写真・クリックで大きくなります〉
『鉄騎兵、跳んだ』まず、観た方は無いでしょうね。
私はモトクロスを始める少し前に家内と一緒に観に行きました。日活映画だったので、
成人映画館でやっていたような・・・(^_^ゞ
この映画、石田純一のデビュー作でもあります。相手役は熊谷美由紀、後に松田優作と
結婚し今は松田美由紀、松田龍平・翔太のお母さんですね。当時は19歳?
それにしても14,800円って、昔は高かったな、ビデオ。

映画はつまらなかったけれど「鉄騎兵」のフレーズが気に入りました。
私、甲冑騎馬兵と言うのが無性に好き。中学の時に観た『エル・シド』の影響かな?
モトクロスはまさに鉄騎兵のイメージ、そんな子供っぽい動機もあったように思います。


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ただ、当時(今でもだけど)真夏の炎天下でもこの格好w キツイですよ!
長袖、長ズボンはもとより、グローブに分厚いロングブーツ、ブーツの下は
ハイソックスですぜ。ウェアにはパッドが仕込まれており、腹巻きならぬウェスト
ベルトも。その上、プロテクターも着けます。
当時、スポーツ医学の調査で最も運動量が激しいスポーツの1位がサッカーで、
ただし、ウェア等を考慮すればモトクロスはそれを上回るとの報告も・・・

私も炎天下での練習では、何度も倒れそうになった思い出があります。

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所詮、乗り物に乗る競技だから・・・と、思っていたのはこれまた甘かった。
始めた頃は翌朝、起きられないほどの筋肉痛。経験してみないと分らないです。

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yz125_82.jpg〈同型参考写真〉

2台目は、YZ125(5X4・82年型)いち早く水冷化されたヤマハのマシン、前年型から
フロントのゼッケンプレート内にラジエターが仕込まれていました。


当時、息子にはこんなマシーンを与えて・・・

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pw50.jpg〈同型参考写真〉
YAMAHA PW50(82年型?)オートマでリミッターも付いていますが50ccのエンジンです。


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とーちゃん、がんばれ~♪・・・の図。(^_^ゞ
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とってもレアのが、このカメラ。ソニーのベーターマックス、まるで業務用の様ですが
当時はソニーのお家芸、世界最小・最軽量がウリだったと・・・

HVC-F1.jpg〈同型参考写真〉

1981年に発売されたもので、上の写真はカメラ部分だけ。肩に担ぐタイプでした。
これにビデオデッキを繋いで、デッキは肩から提げると言うものでした。

VIDEO-set.jpg〈同型参考写真〉

カメラが [HVC F-1]¥220,000、写真左からテレビチューナーユニット [TT-F1]¥75,000、
ACアダプター [AC-F1]¥28,000、バッテリー [NP-1]¥?、予備も1本買いました。
リモコン [RMT-F1] 別売りで¥5,000、ビデオテープレコーダ [SL-F1]¥199,000。
価格も今では信じられない?(笑)
もう一度言いますが、家庭用ムービーレコーダーとしては画期的。ポータブルで
世界最小、最軽量でしたから・・・
ちなみにビデオデッキ [SL-F1] の大きさは、幅215×高さ80×奥行305mm 
重さ 4.2kg(バッテリー含:4.9kg)。バッテリーは1時間使用可でした。


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モトクロス、やり出した当初は家内も子供も来てくれていたのですが・・・
何年か経ち子供も成長すると、遠のくようになり、ビデオや写真も少なくなりました。

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yz125_84.jpg〈同型参考写真〉

3台目は YZ125(39W・84年型)ラジエターがタンク下に。
私のウェアもやっとヤマハっぽくなってますね・・・(^_^ゞ

私が買ったモトクロッサー、最後は YZ125(2HG・87年型)

yz125_87.jpg〈同型参考写真〉

かなり今風に。しかし、これに乗っている写真もおそらくビデオも、ありません(悲)


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カッパのロードスター


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フルバム、林道時代. [フラッシュバック]

「フラッシュバック」このカテゴリーを忘れてました。古いアルバム、フルバムです。
(そう言えばソネブロにはこのカテゴリーありませんでした。gooブログの方だけでした。(^_^ゞ)
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二輪車暦、第二弾ってことになります。(第一弾はコチラ)

まずは家内用に買ったスクーター遍歴を・・・
家内が始めてバイクを乗り出したのはコレからです。
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Honda ロードパル NC50、ラッタッタってやつです。

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後ろにチラッと見えているのが、我が家のラッタッタ♪
風防にチャイルドシート(?!)、このバイクは大活躍してくれました。
※リアル初期型SR400は仕事のスタッフのもの。TL50とCB750Kが私の愛車でした。

やがてやって来たスクーターブーム、その初期のものですね「ホンダ・タクト」
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キー付きのリアサイドバックが付いていました。

子供を乗せるのに二人乗りが必要ってことで、家内も小型二輪を取得。
原付二種を買うようになります。
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リード80です。ホンダ・リードシリーズの初っぱなだと思います。
この後も、リードを乗り継ぐことに。

1010391_00_1994_07.jpg〔参考写真〕
リード90。これも良く走った印象があります。
この頃の写真が残ってませんw

リード90も散々乗り、いざ乗換えとなったのですが・・・
困ったことに後継車リード100は、大柄に変身。おっさん向きのスクーターに。
小柄な家内には大き過ぎ重過ぎで、熟慮の結果、当時まだ50cc原付と同じボディを
使っていたスズキのアドレス100に乗り換えました。結局それ以後も小型軽量の
原付二種スクーターは出て来ないので、未だに現役で活躍中です。(^_-)v


さて、もっと時代を遡り、私の高校時代?かな・・・当時の雑誌広告を。
(私の二輪遍歴とは関係ありませんが)

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スズキ・ハスラーTS250ですかね、ヘルメットやウェアーが何とも・・・

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これも広告だったと思います。今では考えられない大胆さ♪
つか、掲載されていた雑誌はきっと・・・ムニュムニュ(^_^ゞ

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憧れの1台。ヤマハ・トレール250DT1。当時乗った印象は怪物でした。

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これまた時代を反映したファッションで・・・


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YAMAHA FS1
これこれ、ヤマハの原付スーパースポーツ。
当時(1970年初頭)私が最初にバイクに乗り出したのがホンダのベンリィSS50。
最高速95km/hという当時最速の原付だったのですが・・・同級生がこのFS1を買って
シグナルグランプリでは全敗w完敗・・・2ストの強さを思い知らされました。

honda-ss-50-z-01.JPG〔参考写真〕
これがSS-50ね。スタイリングもYAMAHAの方がカッコよかった。


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コイツのスタイリングにはシビれた・・・スズキ・ウルフT90。
90でありながら2気筒、アップマフラーが両側に!これの125版もありました。
後に名前だけ「Wolf」が甦ったが、このスタイリングは微塵も無いものだったw

私はというと、小型免許(125ccまで)を取得、早速
Honda CL125(中古)。Suzuki RV125(バンバン)と乗り継ぎます。
やがて世間も豊かな時代を迎え、私も大人になり大型車が買えるようになりました。
20歳を過ぎ、限定解除、大型免許取得後は
Honda Dream CB500T ツインカムのバーチカルツイン。
→CB550FOUR-II 4気筒、4in1の集合管マフラー。
→CB750K 4本マフラー復活。何てたってナナハン♪
と、オンロード・ツーリングバイクを乗り継ぎました。 

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これはYAMAHAのXS(ペケエス)ですが、
この後に出たTX650を一時期持っていました。友人が長く乗っていたものを
譲ってもらった中古車ですが、バーチカルツインの小気味よさが忘れられず。

TX650.jpg〔参考写真〕

とてもタチが強く、曲がるのにひと苦労。分解してしまいそうな振動も・・・
快適とは言えませんでしたが、力強さと排気音は脳を震わせてくれました。
今思えば、とても愛おしいバイクだったかも。
4発ナナハンと同時保有だったから、1年ほどで処分してしまいましたが
今なら迷わずTXを残すでしょうね。(^_^ゞ
近年になりヤマハ内部でも復活を!の声が出たそうですが、ちょうど同時に
大型スクーターの開発企画があり、TX復活の企画はボツになったそうです。

当時の国産では最大排気量のナナハンに行き着いたところで、私のバイク暦で
オンロードバイクは終わりになります。後にHonda VT250Fを買いますが
アッと言う間に飽きてしまい手放します。

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もともとオフロード志向が強かったのでしょうか、遊びで買ったホンダTL50を
皮切りに、オフロードへのめり込んで行きます。
SR400のオーナー、お付き合いとばかりにヤマハTY50を買って対抗。ここでも
2ストエンジン、ヤマハのバイクに脱帽させられます・・・

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それでも私はホンダ党、4スト派を貫き・・・ナナハンを売っ払い乗り換えたのが
フロントタイヤ23インチの「XL250S」。

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河原に造成地、林道へとダートを走って泥まみれになった愛車を見るのが好き♪
洗車と整備は嫌いだったから・・・性質サイアク。(^_^ゞ

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この頃、家内にもお揃いのXL80Sを購入、一緒にオフを楽しみました。
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林道や一般道を走ることにフラストレーションを感じ始めた頃、たまたま店先で
モトクロッサーを洗車しているオッサンを発見、声を掛けたのが運の尽き
そのオッサン、MXチームの会長でして・・・「MX時代」は、またいずれ。
1980年、私、もう27歳になっておりました。(^_^ゞ

体力、技術も自信を持って無い!と言える私にとってMXは超過酷。それでも
楽しくて仕方なかった。ひ弱で、今まで体育系クラブにも所属したことが無かった
私ですが、何か新鮮で、やり残したことを取り戻せるような・・・
そんなオフロードバイクを謳歌する時期がここから10年続きました。

MXチームに所属しているとは言え、あくまでサンデーライダー。
趣味で真似事レベルですから、一向に速くも走れず。また林道に戻ったりして

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YAMAHA DT200R(37F)

雪が積もれば歓び山駆け回りたくなるワン公みたいな僕、この時、32歳。
今はすっかり猫ですが・・・(-。-;)

DT200Rには3年ほど乗ったかな、林道へ行ったのはわずか。ほとんどは
一般車両参加のエンデューロレースなどに使い、結構活躍してくれました。
ジャンプの着地では底突きしてたけど・・・

もっと戦闘力の高いものをと買ったのが
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Kawasaki KDX200R。何年か落ちのモトクロッサー並の走りができました。

しかし、このバイクが私のレーサー人生(←オオゲサナ!)に終止符を打ちました。
レース中の事故で6ヵ月の入院。退院後もリハビリや抜釘(ばってい)手術で
・・・2年近く、家族や関係各位に多大な迷惑をかけました。

もう二度とバイクに乗ることは許されないと、自分自身に言い聞かせ・・・


それから10年、こんな大人し気なトレールならイイかと。(^_^ゞ
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HONDA SL230 買いました。良いバイクでしたが、あまり乗ることは無く。
何故か経緯は忘れましたが、確かレッドバロンに引き取ってもらいました。

その後も京男さんより無償で譲り受けたTDR250(2YK)や友達3人でヤフオク落札、
共同購入したTZR250(3MA)などを所有していた時期もありました。

そして現在、長年の夢であったXL125(元祖ペケエル)を保有していますが
果たして林道へ戻ることは・・・


ほんの一部ですが・・・43年前、初めて乗ったバイクのも残っているのは凄いかも。
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カッパのロードスター


タグ:二輪車暦
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懐かしの遊撃手。 [フラッシュバック]

1980年代、街のクルマたちもまだまだ個性がありました。
そんな頃のカタログが出てきたので、
本宅ブログで紹介してます。カテゴリー『フラッシュバック』

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ホンダの「バラードスポーツ CR-X」1983年。
東京ディズニーランドが開園、任天堂ファミコンが発売された年でもあります。

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車重800kgほど、運転するのが楽しかっただろうな。


1987年、2代目として登場したいすゞのFFジェミニは、イタルデザイン・ジウジアーロの作品。

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TVコマーシャル「街の遊撃手」シリーズも印象に残ってます。



ベレット、フローリアン(ギア)、ジェミニ(ジウジアーロ)、117クーペ(ギア)、ピアッツァ(ジウジアーロ)、PAネロ、ビークロスやファーゴも良かったな♪


1991年、ちょうど20年前に登場したホンダ ビート。
大きくなって復活するとかどうとか・・・デカビート、楽しみです。

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★本宅ブログではカタログ全ページを貼ってます。よろしければどうぞ。
☞『懐かしの遊撃手たち』

カッパのロードスター


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