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満願の寺、谷汲山 華厳寺(後編) [西国三十三所巡礼]

いきなり誰かさん似のうたた寝姿で失礼します。

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「巡礼の終着駅」西国三十三所満願霊場だけあって、何かと見どころが多くて

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本堂から参道を振り返っても、仁王門は遥か向こう。真っ直ぐな道なのに見えません。

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本堂前の石灯籠、ちょっと目を引きます。
やかんにハート型?何かかわいい・・・
これ、善導寺型灯籠と呼ばれるもので、京都の善導寺にその原形があるそうです。
六角の火袋に彫られているのは茶道具。中台側面のハート型は、猪目(いのめ)型。
猪目文様は古来より使われているもので、全国的に見られるもののようです。
このお寺では中台にハート型が彫られた石灯籠が、あちこちにありました♪


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[鐘楼]

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本堂からは渡り廊下で、幾つかの堂宇や祠に繋がっています。

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[苔ノ水地蔵]
ミ、ミイラかと見間違いそうな貼り仏さん。身体の部分で悪いところ、
気になるところに水に濡らしたお札を貼って治癒を祈るというものです。
私も1枚貼ってきましたよ・・・頭に。(^_^ゞ


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[四天王像]
本堂の裏でしょうか、四天王が邪鬼を踏みつけています。
西方広目天(白)・北方多聞天(緑=黒)・東方持国天(青)・南方増長天(赤)

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[お地藏さん?]            [持経観音]

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[大黒天?]              [!!??]

祠(ほこら)があちこち多数、ほこらじゅうに・・・(^_^ゞ


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本堂より手前が[笈摺(おいずる)堂]、その先に[子安堂]。


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[笈摺(おいずる)堂]
笈摺と言うのは、巡礼装束で着物の上に羽織る、袖のない薄い衣のこと。
巡礼でそれまで使っていた笈摺や杖、笠などを奉納し満願とするようです。
ま、巡礼装束の方はめったに見ないのですが、すごい数が奉納されていました。
それと、千羽鶴、折り鶴がかなりの数奉納されています。これって・・・
「おいずる」の代わりに「おりづる」?・・・まさかね。(^_^ゞ

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[子安観音堂]
ここには夥しい「よだれかけ」が奉納されています。赤ちゃんを抱っこした家族の
姿もよく見かけました。子供の健やかな成長を願う親の気持ちは大きいですね。


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何の祠か分りませんでしたが、大黒様と布袋様のミーティング?
思わず、もらい笑してしまいます。(^▽^)


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[阿弥陀堂]本堂の右から登って行ったところにあります。


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[?]何という建物かは知りませんが、
中を覗いて見ると、奉納されたものらしき納経帳が山積みされていました。

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[謎?]
この堂宇も名前が分かりませんでした。前にお地藏さんが並んでいるかと思えば
中を覗くと三体の仏像が・・・古そうな建物でしたが。


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[本堂・屋根]


ここらで、ひと休み。石段の途中ですが・・・ちょうどお昼時。

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門前町でゲットしておいた谷汲名物、三桝屋の「ういろ」。
四角に見えますが三角に切れていて三色、十切れ。持って歩くのが重いくらい
ボリュームがあります。これで600円♪二切れも食べたらお腹いっぱい・・・
京都では「ういろう」と言えば三角形がオーソドックス、上に小豆がのっている
「水無月(みなづき)」、六月晦日の水無月の祓い(夏越しの祓い)に食べる
風習があります。
ここの「ういろ」は、手作りの素朴な感じでした。もちろん二人でもこの量は
食べきれませんw 賞味期限は本日中とか・・・どうしよう。(-。-;)


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[満願堂]です。何故か周りは、たぬきさんだらけ。

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“誰かさん”に似た方も発見♪


これまた珍しい
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「三猿」ならぬ「三狸」。(^_^ゞ


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まだあるかってくらい、ぽんぽこの石像だらけ・・・


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こんなのもありましたけど。


さて、満願堂を降りて本堂の左に幾つか伽藍が建っています。

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[元三大師堂]
元三大師(がんざんだいし)はちょくちょく出てきますね、良源という僧で
諡は慈恵大師(じえだいし)。元三大師は通称です。
比叡山延暦寺の中興の祖ですが、「おみくじ」の創始者としても知られています。


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[中門]内側から参道を見る。

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[内仏客殿]

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「庫裡(くり)」
ここの前には大きな「菊花石」が置かれてあります。まるで絵に描いたようです。
菊花石は観賞石の最高峰とも言われていて、岐阜県本巣市の「根尾谷の菊花石」は
国の特別天然記念物に指定されており、この区域での採取は厳しく禁止されてます。
一部には、母岩に人工的に結晶を埋め込んで研磨した偽物も出回っているとか
化かされないようにね!

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・・・って、こんなとこにもまた出た、化かすヤツが~!



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2013.9/22、谷汲山 華厳寺にて。
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西国三十三所巡礼 第三十三番札所 谷汲山 華厳寺 [西国三十三所巡礼]

ついに来ました満願の時、2年3ヵ月ちょいかかりましたが。\(^◇^)/

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2011.6/19、第一番札所『那智山 青岸渡寺』を皮切りに始めた 西国三十三所巡礼。
番外3寺を含めた36番目のお寺は、『谷汲山華厳寺(たにぐみさん けごんじ)』
巡礼の終着駅、西国三十三所満願霊場。これにて無事、結願(けちがん)達成です♪

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華厳寺は33所で最も東に位置する岐阜県にあります。
Googleマップでルート案内を試したら「地点が道路から離れているか、サービス
提供範囲外の可能性があります」って・・・w

県道40号に山門前って交差点があり、そこに建っている総門をくぐって行くと

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待ち構えているのが、駐車場の呼び込み。これってあまり好きじゃないんですよね
京都の郊外のお寺でもよく見ますが・・・
お寺の駐車場(無料)もあるかもと、確かめるため先まで行ってみたら何と!
日・祝日は「これより先、通行止め」だとか。結局「たかい400円」の駐車場に
停めました。10:30ですがまだ充分余裕あり700台収容の町営駐車場でした。
ちなみに平日ならこの先の無料駐車場に停められるはずですw

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以前「近畿 道の駅スタンプラリー」に挑戦しましたが、範囲はほぼ同じですね。
近畿エリアなら京都市はほぼ真ん中、何処へ行くのも楽です。道の駅の場合は、
414日で101拠点走破達成!できましたが、巡礼はそんなに甘くなかったです。
歩き、特に難所も多いので・・・

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「観光プラザ」と銘打たれた小屋、ここから門前町を歩いてお寺を目指します。

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1kmほどもあるという門前町通りには、色んなお店が軒を連ねていました。

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秋の味覚をならべたお店や、秋の石?菊花石と言うそうです。菊の花のような
模様が特徴。この辺りの名産なんだそうで、石を売る店も多かったです。

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門前町ならでは?それらしいお土産物屋さんも・・・

そうそう、このお店は見逃せません。
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「ういろ 三枡屋」
名物なんだそうで、行列ができ、早々に売り切れることもあるとか。
しめしめ、行列はできてません。でも帰りに通りがかった時にはもう・・・

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旅館や食べ物屋さんも。さすが巡礼の門前町って感じかな。


さて、長い門前通りを抜けると、立派な二層の仁王門に突き当たります。

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いよいよ満願霊場の入口です。

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とてつもなく大きな草鞋(わらじ)が奉納されています。

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運慶作と伝えられる金剛力士像(仁王像)、格子が太くて見辛いですが。


仁王門をくぐると、石畳の真っ直ぐな参道。まだ本堂は見えません。

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仁王門を入ってすぐ右手には
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[放生池(ほうじょうち)]と[地蔵堂]

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[三十三度石]

参道の真ん中には、三十三度石、百度石、焼香堂。両脇には百八燈が並んでいます。

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[百度石]と[焼香堂]。 石畳の参道と両脇に並ぶ[百八燈]。


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[一乗院](上)と、[法然院](下)

参道の左右には塔頭や堂宇が建ち並んでいます。

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なかなか見応えがあるお寺でした。

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[明王院]

明王院には、荼枳尼天(だらにてん)や阿弥陀如来像が祀られています。

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他にも・・・
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[白象?]
大人の方は乗らないようにね。

ゾウさんの隣り、水琴弁財天のところには「水琴窟」があって、
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[水琴窟]
よほど心地よい音がしたのでしょうか・・・(^_^ゞ


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[延命地蔵尊]

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ここにも[延命地蔵尊]、そして[念仏石]謂れがあるのでしょうが・・・


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[十王堂]

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長~い石段の先に本堂がやっと見えてきます。
ここの石段は、整っていて勾配もそれほど苦にならなかったです。

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三界万霊・・・ん~、難しいです。ネット検索してもいい加減な間違った解釈が
いっぱい出てきます。仏教用語の本来の意味は、よくよく勉強しないとね。

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左が観世音菩薩、右が勢至菩薩の大きな菩薩像があります。

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[一切経堂](上)と、[英霊堂](下)

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[三十三所堂]


最後の石段を登りきると、すぐに本堂です。

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よいちょ、よいちょ・・・頑張った子には
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こんなご褒美が待っています・・・望んではいなかったでしょうが。(^_^ゞ


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[本堂・拝所]

お寺の創建は1200年以上前、延暦17(798)年です。ご本尊は秘仏ですが
幾度かの戦火により伽藍も焼失しているので、当時のものかどうかは?

縁起はと言うと、奥州会津の大口大領(おおぐちだいりょう)という人物が
御告げにより霊木を手に入れ、それを持って都の仏師に十一面観世音を刻んで
もらいその帰路、観音像が杖、笠、草鞋を履き自ら歩き出しました。
「遠く奥州の地には行かない。我、これより北五里の山中に結縁の地があり、
其処にて衆生を済度せん」と言うと、この地で立ち止まり突然重くなって
動かなくなります。大領はここが結縁の地だろうと思い、ここで修業をしていた
豊然上人(ぶねんしょうにん)と力を合わせて山谷を開き、堂宇を建てて
尊像を安置しました。
これにより開祖は豊然上人、本願は大口大領とされています。
なおその際、堂近くの岩穴より油が湧き出し、燈明に使ったことから「谷汲山」の
山号、地名になったようです。

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拝所は薄暗い上に線香の煙が充満していました。


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本堂の正面、両側の柱には[精進落しの鯉]と言われるものが、阿吽一対あります。
満願参拝を済ませた巡礼者がこれに触れ、これまでの精進生活から解放されて
普通の生活に戻るための習わしのようですが・・・

ところで「精進」と言うのも仏教用語。本来は修業につとめはげむとか、
悪を断ち善を行うという意味。落としてしまってはいけないものですね。(^_^ゞ
「精進料理」と言うのがありますね、肉食はいけないと誤解されている仏教には、
「殺すまい、盗むまい、不倫すまい、嘘をつくまい、酒を飲むまい」の五戒が
ありますが、肉を食うまいとはされていません。ただし酒は駄目、放逸になり
精進を妨げる大きな要因になります。ただ不飲酒戒を守らぬ者でも阿弥陀さまは
救って下さるのだとか・・・フレキシブルな宗教ですね♪

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[賓頭盧尊者像]
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[納経所]
満願の寺ならではでしょうか、御朱印も3枚セット。(^_^ゞ
現在(本堂・観音堂)、過去(満願堂)、未来(笈摺堂)の3つになっています。


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○宗派:天台宗 ○開基:豊然上人・大口大領
○御本尊:十一面観世音菩薩 ○創建:延暦17(798)年

御詠歌
世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも 消えぬなりけり(現在)
万世の 願いをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲 (過去)
今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎ納むる 美濃の谷汲 (未来)


これにて西国三十三所巡礼、結願ですが・・・お寺の記事は後編があります。(^_^ゞ

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2013.9/22、谷汲山 華厳寺にて。
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西国三十三所巡礼 第三十二番札所 繖山 観音正寺 [西国三十三所巡礼]

観音霊所巡礼もいよいよラス前です。しっかし暑かった!

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繖山 観音正寺(きぬがさやま かんのんしょうじ)に行ったのは
猛暑真っ只中の今月15日、京都では38度越え連発の日々だったかな・・・

このお寺、標高432.9mの繖山(きぬがさやま)の山中にあるので少しは涼しいかなと
期待したのですが、何とここ、西国三十三所でも一、二と言われる難所だとか。
表参道ならず表山道、石段が1400段とも・・・長命寺の808段でも驚いたのに
それを軽く上回る。
・・・但し、長命寺同様、こちらも中腹までクルマで行けます♪

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入山料や拝観料は要らないのですが、クルマ用の林道には通行料が必要。
麓の小屋で500円払うと、昔の遮断機みたいなゲートを上げてくれます。
くねくね狭い舗装路を登ると10台ほど停められるかなって駐車場。

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駐車場から下を見ると、先が見えない険しい石段の山道。

上を見たら・・・まだまだあるやん!この先、登ること300段?400段?。

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階段と言っても整備されたものではありません。自然石ゴロゴロって感じ。

それだけではありません、周りが竹薮ってところがあり、ヤブ蚊がワ~~ッて!

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ショートカットしたはずの駐車場からの登り、想像以上にかなりなものでした。
手すりに付けられた木札に書かれた格言を読みながら…少しは気が紛れます。

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書かれた数字でカウントダウン、ちょうど登り切ると「一」が読めます。


ヤブ蚊に餌を与えながら、汗だくで登りつくと、山門(仁王門)は無く、

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二体の仁王様が露天でお寺を守ってます。

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仁王様用の鉄下駄? カッパちゃんには合いません・・・w


観音正寺の歴史は1400年以上前に遡るかなり古いものです。
鎌倉時代から室町時代にかけては、佐々木六角氏の庇護の下、三十三もの塔頭を
擁するまでの大寺に発展したのですが、その佐々木氏が応仁の乱の頃、ここに
居城である観音寺城を築いたことで、堂宇は山麓に移転。戦火に巻き込まれ
やがて織田信長によって観音寺城も落城。寺も焼討ち?
江戸時代に現在の地に移転し、明治15年(1882)に彦根城の槻(けやき)御殿
という建物を移築して本堂としていましたが、平成5年(1993)の原因不明の
出火によりその本堂も全焼。
現在の本堂は平成16年(2004)に再建、落慶されたもので新しいです。

境内も狭く、仁王像から本堂まで100mほどかな。その間に小さな堂宇が
並んでいる程度です。

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「鐘楼」
仁王像の手前にあります。ここでもまたひと撞き・・・(^_^ゞ


右手の仁王像の先には池があり

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「弁天堂」?

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池の前や奥には小さな祠がいくつかありました。

あった~!
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休憩所?
建物内は冷房は入ってませんが、自動販売機が!実はクルマから持って出た
小さなペットボトルの水はもうほとんど飲み尽くし、しかもぬるま湯みたい。
ここで冷え冷えのスポーツドリンクを補給。持って歩くことに・・・


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「聖徳太子像」
あまりの暑さで、唇が乾いているように見えるけど・・・

このお寺の開基は31番札所「長命寺」に続いて聖徳太子です。
西国三十三所では、18番「頂法寺(六角堂)」、24番「中山寺」も同じです。

例によって伝承によれば、605年にこの地を訪れた聖徳太子が琵琶湖のほとりで
人魚と出逢い、「前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚にされて
しまい苦しんでいる。どうかこの苦しみから解放して下さい」と頼まれました。
聖徳太子はその願いを聞き入れ、自ら千手観音菩薩像を刻み、後に堂が建立され
その像を祀ったのが寺の創始とされています。
寺にはその「人魚のミイラ」と称するものが保存されていたそうですが、
平成5年の火災の際、焼失しました。ザンネン!
・・・何か写真で見た気もするけど、あれは河童のミイラだったかな?(^_^ゞ


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「手水舎」
ここのお水は飲めます。冷たくて美味しい水でした、ついでにタオルを浸して
ドボドボのまま首に巻いておくことに。すぐに乾いてしまいますが・・・

「白蛇大明神」
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「子授け地蔵尊」「子育て地蔵尊」

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「北向地蔵尊」
ちょっとアートな祠、木樽?藁葺き屋根も面白い。
中には小さなお地藏さんが祀られています。一願地蔵で「声に出すことなく
微音にて7へん真言を称えるべし」とあります。大声で怒鳴ってはいけません。
願い事はひとつだけ、さすれば必ず解脱の方法を表し抜苦与楽を与えてくれる
そうです。必ず願いを叶えると書かないところがイイですね。?

余談ですが、子供の頃、童話などで「ひとつだけ願いを叶えましょう」と
言われた時、僕なら「何度でも願いを叶えて下さい」それが願いです。
って言おうと考えてましたが・・・(^_^ゞ


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「濡佛(ぬれぶつ)」
釈迦如来坐像ですね、江戸時代から置かれていたものは太平洋戦争の際、
供出され、今のものは昭和58年(1983)に再建されたものです。

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大仏さんの下には可愛いお坊さんが・・・キノコではありません。


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「護摩堂」修験根本道場

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中にはご本尊のミニチュアモデル?
矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子を従えた不動明王像、
隅には役行者の像も祀られていました。


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「太子堂」
堂内には元三大師も祀られています。「おみくじ」を発案された僧ですね。


さて本堂ですが、右手の石積みが気になりますね。

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2004年に再建された、まだ真新しいお堂です。

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「抱きつき柱」
『本堂内撮影禁止』でしたが、お寺の方に訊ねてみると、内陣ご本尊の撮影は
困るけれど、それ以外だったらどうぞご自由に・・・ってことでした。
ご本尊はどうして駄目なのかとの質問には、ただの像ではなく開眼法要により
魂を入れたものだから、宗教的にも他の参拝者にも失礼だと言うことでした。

この「抱きつき柱」は、台風で倒れたヒノキですが、節がちょうど33ヶ所
あったので、何かの縁と本堂再建の際に使用されたのだそうです。
これに抱きついて祈れば、三十三所分の功徳があるのだとか・・・
抱きついている人は見かけませんでしたが。(^_^ゞ

ご本尊は、それまでのものが平成5年の火事で焼けてしまい、新たに造立する
にあたり住職が二十数回インドに赴き、禁輸対象品である白檀の原木をなんと
23トンもインド政府から特例処置を受けて輸入。
その貴重な白檀で「千手千眼観世音菩薩坐像」を造り上げたのは、京仏師の
第一人者?松本明慶大仏師だそうです。
新たなご本尊は3.56m(光背を含めた総高は6.3m)の総白檀造り、
平成16年5月22日、本堂の落慶法要と同時に本尊の開眼法要も行われました。
写真は撮れませんが、拝観することはできます。
内陣に入り直ぐ前で拝観、お身拭いなどすることもできるようです。(別料要)


結構なスケールで、気になる石積みを見てみます。

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所々の岩の上に観音像など仏像が置かれており、前は蓮池になっています。

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「えんむすび地蔵尊」
悪縁を絶ち、良縁を結んで頂けるお地蔵様だそうです。

おっ!人魚のミイラ?
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・・・ちゃうな。(^_^ゞ


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壮観ですが、石積み自体には宗教的な意味は無いそうで、土木的な意味で
山崩れを防ぐためのものだそうです。
上からロープを垂らしてあったので、登ってみようかとも思いましたが
専門家じゃないと無理っぽいので自重しました。


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「魚濫観音」
ちょっと珍しい?観音様ですが、水かけ観音とされていました。
乾き切っていたのでお水を掛けたら、クッキリとお姿が。
ここの水は、本堂建設の基礎工事の際、湧き出たという細菌ゼロ、水温14度の
水だそうです。


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境内からの眺めはよく、三上山(近江富士)まで見えるとのことですが、
この日は湿度が高く、空気が澱んでいて・・・w


さて、「濡佛」像の脇から山道に入ると、観音寺城、繖山三角点に行けます。

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観音寺城のことはよく知らなかったのですが、日本百名城の一つになっており
こりゃ行くしかないと・・・最初は歩きやすい山道だったのですが

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しだいに険しくなり、石段道というより崩落跡?それより何より大群のヤブ蚊の
襲撃に遭い、あえなく敗退・・・途中から逃げるように戻りました。

汗だくでまた自動販売機のある休憩所へ、そこにはなんと観音寺城のスタンプが。

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ま、途中撤退したとは言え、行こうとしたのだから日本百名城のスタンプ帳には
スタンプをゲット!・・・逆さまで二重捺しになってしまった。(^_^ゞ

奥の院もあったのですが、あまりもの暑さと、奥の院に行く途中にはこれまた
ロープを頼りに登らないといけないような険しい場所もあるとか・・・
即座に断念いたしました。8月15日、時期が悪かったかも。


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○宗派:天台宗(単立寺院) ○開基:聖徳太子
○御本尊:千手千眼観世音菩薩 ○創建:推古天皇13(605)年

御詠歌「あなとうと 導きたまえ観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを」



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2013.8/15、観音正寺 蓮池にて。(SX50SH)

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長命寺あれこれ [西国三十三所巡礼]

西国観音霊場31番札所、長命寺の後編です。

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それほど広い境内ではありませんが、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が織りなす
整った伽藍配置が美しいお寺です。
そして派手な朱塗りではなく、弁柄かと思われる酸化鉄の錆赤色の塗りは
重厚さを醸しています。

弁柄(ベンガラ)塗と言えば、奈良や京都の町家。特に京都の花街のイメージ?
インドのベンガル地方のものを輸入していたので、この名がついたようです。
オランダ語でもBengalaと言うのは、日本語が伝わったのかな?
ちなみに、このお寺のある近江八幡の特産品に「赤コンニャク」がありますが
あの赤も酸化鉄の赤ですね。


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「護摩堂」(重文)

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「三重塔」(重文)

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三重塔側から見た本堂です。


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本堂の正面?入口側から見たところです。手前は三仏堂。

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本堂と三仏堂を繋ぐ渡り廊。
ちょっとした風情を感じますね、このあたりの美意識も高いです。

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「三仏堂」

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三仏堂には薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来の三尊が安置されています。

「護法権現社拝殿」も三仏堂と渡り廊で繋がっています。
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         「護法権現社本殿」
拝殿の奥には本殿がありますが、意外と簡素なものでした。
長命寺の護法神として開山の祖「武内宿禰」が祀られています。
仏教寺的には「開山堂」ですね。
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奥の扉?には、こんな木彫が・・・開山の物語を表したものでしょうかね?


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「三仏堂」その奥に「護法権現社拝殿」
一段高くなった先に「鐘楼」と「如法行堂」


如法行堂には勝運将軍地蔵尊・福徳庚申尊・知恵文殊菩薩が祀られています。
真ん中の小さな窓から覗けば見られます。
         「如法行堂」
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「鐘楼」(重文)

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鐘楼は中に入れます。「鐘を撞くな」とは書いてなかったので・・・ひと撞き♪
構造上、頭の真上で鳴り響きます・・・脳みそが揺れました。ノ(>。☆)ノ
くれぐれも思いっ切り撞くのは自重しましょうwww


「拕柷尼天尊(だきにてんそん)」(稲荷大明神)
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何かメタリックな感じがしたので、石段を上って間近で見てみると・・・
檜皮葺きの屋根に夥しい1円玉が!
誰が始めたものか、こういう手のものをよく見ますねぃ。

手といえば・・・
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よりによって本堂の白壁に、こちらも誰が始めたものか朱印の手形が無数に。
本堂は重要文化財ですから、立派な犯罪ですね。指紋まで残して・・・

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↑こちらはちょっと許したくなる。
何かなと思ったら、石仏さんの頭にペコちゃんが乗ってました・・・(^_^ゞ


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境内をうろうろ歩いていると、琵琶湖が見えるスポットが何ヶ所かあります。
美しい琵琶湖の夕日が見られることでも有名。
境内の西の端になるでしょうか、「太郎坊大権現拝殿」があり、
ちょうどよい展望所にもなっています。

このお寺の直ぐ近くには「シャーレ水ヶ浜」っておすすめカフェも。

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「長命寺港」
レジャーボートが行き交ってます。
手持ち2400mmのSX50HSの出番です!原寸サイズだと乗っている人の表情まで。
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これまた気持ち良さそう♪
ウルトラライトプレーンってやつですかね。そう言えばここの近くに
フライトスクールとかの拠点があると聞いていましたが・・・
ジブリ映画『風立ちぬ』を見てから飛ぶのもイイかもね♪


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「太郎坊権現社」

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ここにもこんな木彫がありました。太郎坊の修業の様子でしょうか?

太郎坊とは、長命寺の修行僧で空を飛んだり、風雨を呼ぶ霊力を身につけ、
後に京都の愛宕山に移り住んだと伝えられています。
愛宕山では、太郎坊を神として信仰し、大天狗と呼ばれるようになりました。

長命寺には巨石がいくつかあり、それぞれに逸話があるようです。

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「飛来石」(太郎坊権現社の上)
修行を極めた太郎坊が長命寺を懐かしく思い、京都の愛宕山からここまで
飛ばしてきたものと伝えられています。


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「六処権現影向石」(本堂のすぐ裏手)
武内宿禰がここに祈りを捧げて、三百歳の長寿を全うした言い伝えが
残されている、天地四方を照す岩だそうです。
今にも落ちそうなんですけど・・・

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「修多羅岩」(鐘楼の裏手)
仏教用語で「天地開闢 天下大平 子孫繁栄」の意味だとか。
武内宿禰の御神体とされているそうです。


何かとても気になる飾り瓦。
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三重塔へ上る石段の下の屋根にありました。
近江八幡と言えば、伝統工芸品として八幡瓦が有名。これがそうなのかは
分りませんが・・・


長命寺はまた、紫陽花の寺としても有名。5月半ばにはイベントもあったようです。

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季節が合えば綺麗だったでしょうね。

何故か枯れ紫陽花、侘び紫陽花にも風情を感じてしまう私ですが・・・

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2013.8/4、長命寺にて。
カッパのロードスター


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西国三十三所巡礼 第三十一番札所 姨綺耶山 長命寺 [西国三十三所巡礼]

琵琶湖畔、と言ってもかなり山を登る健康長寿のお寺、その名も「長命寺」。

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西国観音霊場巡りも、あと3つ。
第三十一番札所は『姨綺耶山 長命寺(いきなさん ちょうめいじ)』です。

寺名の由来はかなり古く、聖徳太子が開基した数百年前、景行天皇の御代に
武内宿禰(たけうちのすくね)が当山に登った際、柳の巨木を見つけ
「寿命長遠諸願成就」と彫りつけ長命を祈った。その霊験あって三百歳もの
寿命を保ち五朝に仕える長寿の大臣として大きな功績を残したといわれている。
その後、この地を訪れた太子はこの木に観音を感得し、三尊をつくらせ、
伽藍を建立し「寿命長遠」より長命寺と名づけたそうです。

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「長命寺」の名に相応しく?石碑の土台は亀さんです。

標高333mの奥島山にあるお寺ですので、もちろん長い石段上りが待っています。
琵琶湖畔から続く808段の険しい石段。健康には良いのかな?しかし、
長いといってもほどがある。この日も暑かったし・・・と言い訳を考えながら
途中の駐車場までクルマで上がりました。(^_^ゞ

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下を見れば延々と石段、1kmほどあるそうです。(写真左)
駐車場からだと残り100段余り。貧脚の私でもこれなら何とかなります。(右)


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「山門」
駐車場からは直ぐに山門が見えますが、本堂へはもうひと息石段を登らないと

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「手水舎」
手水舎の奥にはお地藏さんが並んでます。向いには書院が建っていました。

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この先に本堂が見えますが、湖畔から808段の石段を登って来られた方は
やっとの思い?感動するでしょうね。

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「?」
石灯籠とお堂がありましたが、札の文字が読めません。これより先に三重塔が。

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「三重塔」(重文)

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「閼伽井堂(あかいどう)」
中は井戸です。東大寺二月堂にも「閼伽井屋」がありましたね、御水取りの
御香水を汲む井戸でした。閼伽(あか)とは梵語のアルガの音写で水のこと。
英語のアクアと同じ語源だそうです。

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「瓦?」
本堂前の広場に展示されていました。創建当時の瓦とかでしょうか?
ここからも琵琶湖が眺望できます。
白洲正子著「近江山河抄」には、近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、
私は長命寺のあたりと答えるであろう。と書かれています。


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「本堂」(重文)

創建は619年とかなり古いですが、1516年に戦火に遭い、伽藍の殆どを焼失。
現存する建造物は1521-1614年にかけて再建されたものといわれています。

本堂は間口、奥行きともに12間4面の単層入母屋造りで檜皮葺きの
天台様式。三重塔と同様、渋い色合いの朱塗りが重厚で味わい深いです。


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「賓頭盧尊者」           「釈迦像」
びんずるさんは撫で仏とされ、気になる部分を撫でるとご利益があるとか、
ここの賓頭盧さんは顔ばかり撫でられたのか・・・のっぺらぼう状態w

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「本堂 拝所」
ご本尊は「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」、千手観音、十一面観音、
聖観音の3体とされている。本堂内陣の厨子に安置され、いずれも秘仏です。

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「金剛力士像」
外陣の両側に置かれています。仁王門が無い代わりでしょうか。

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ん、覗き込んで写真を?
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撮影禁止されていないので、私もo[◎]_- )パチリ
秘仏であるご本尊は奥の厨子の中ですが、代わりのお前立ちご本尊のお姿を。


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本堂からも琵琶湖が眺められるよう縁が設けられています。
長い石段を登ってきた甲斐があるってものです。私はラクしましたが(^_^ゞ

今回はここまで、後編へとつづく・・・icon60_01.gif


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2013.8/4、長命寺にて。



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○宗派:単立 ○開基:聖徳太子
○御本尊:千手十一面聖観世音菩薩三尊一体 ○創建:推古天皇27(619)年

御詠歌「八千年や 柳に長き 命寺運ぶ歩みの かざしなるらん」
カッパのロードスター


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