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別世界?石手寺。 [旅河童]

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古刹でありながら幾つもの顔を持つ石手寺(いしてじ)、ラストです。

いろんな世界が垣間みれる博覧会のような? 異次元の空間へ迷い込む
ような・・・やはり石手寺は、噂に違わぬ珍スポットでした。

ただ、私の感じた結論を言うと仏教(真言宗)を真剣に考えられている
情熱のようなものを感じずにはいられません。
格式ばかりで観光寺院と成り果てている寺と違い、本来あるべき
仏教寺院としての役割を果たそうと努力されている気がします。
そして平和への願い、追悼の心を忘れない思いが詰まっているとも
感じます。
社会に対し問題意識も高く、人を救いたいと考えられておられる
のであろう住職の信念も強く、実際に戦争反対の座り込みハンガー
ストライキはやる、震災の現地に救援物資を届けると自らの身を
挺して八面六臂の活躍ぶりを聞き伝わる。
古刹の住職という地位に甘んじずその行動力には頭が下がります。


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〈硫黄島平和の碑〉


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さて、境内につづく山の麓にはまた不思議な空間が広がる。
硫黄島平和の碑をはじめ、除災鎮魂地蔵・天災受難の碑などが
置かれている。

中でも「パゴタ平和記念塔」は異彩を放っていました。

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パゴダ (pagoda) とは仏塔(ストゥーパ:卒塔婆)を意味する英語。
日本ではもっぱら、ミャンマー様式の仏塔のことをいいます。

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ここでは「ビルマ戦没者慰霊塔」となっている。

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第二次世界大戦中、惨烈を極めたビルマの戦線で還らざる人となった
愛媛県で五千五百余柱、全国で十九万柱を数える英霊に捧ぐ・・・

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外観はやはりユニーク。

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上にも行ってみられるようなので・・・

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この先にも堂宇が見えたので、行ってみる。

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「?」人が訪れる気配がない・・・


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天災人災供養尊、自殺者供養地蔵だろうか・・・
寺のパンフレットを見るとこのエリアは「供養世界」と書かれている。


まともなものとユニークなものが混在しているので混乱。
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ここは倉庫?それともアトリエ?
まだまだ珍スポなネタはありそうやね・・・


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!ッ 奥の天災受難の碑と並んでいる、これは・・・・?!!!

キ、キリスト像? 銀色の肌に金髪。しかもポーズが変やろ!
シェーッとも違うし・・・

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「・・・・・」理解不能。


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・・・軽い疲れを感じながら、それでも何か好感が持てる
四国霊場第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺と別れを告げました。


さて、四国と言えば四万十川を見ないとね、今まで幾度と無く
四国には来ていますが、四万十川には行けていませんでした。
で、次の目的地には四万十川沿いのルートを選んでドライブ♪

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翼よ! あれが巴里の灯だ・・・ロドスタよ!あれが四万十の川だ!
・・・なんて、念願かなってリバーサイドドライブを楽しみます。

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お昼ご飯は、どうせなら名前に「四万十」とついた道の駅がイイな♪

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「四万十とおわ」はご覧のとおり、大渋滞。延々と国道に溢れる駐車場
待ちのクルマ!当然、右折では入れず。地元の人は困るやろなぁ。

こんな状態なので、20kmほど先の「四万十大正」へ向かいました。
それが功を奏してか、ここなら河原まで降りられそう♪

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それで、夕べの残りのお好み焼きと、ここで買ったお寿司や飲み物を
清流・四万十川の河原でいただきました。(´ ▽ ` )ノ

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イマイチ、清流って感じじゃなかったけれど・・・

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戻る時にすれ違ったヨチヨチ歩きの女の子、お姉ちゃんが心配そう。
よいちょ、よいちょ、がんばれぇ、気ぃつけて。。。

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それでは、もう少し四万十川沿いを走って、次は
私にとってメインとも言える目的地です。


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2015.9/22、道の駅 四万十大正にて。
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ディープ?石手寺探訪。 [旅河童]

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四国八十八所霊場 第五十一番札所、石手寺(いしてじ)。

四国を代表する名刹にして、珍スポット?そう言われる理由は
ひとつやふたつでは無さそうです・・・

本堂の左手横にはこんなところがあります。

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国籍不明な木彫が目を引きますが・・・

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「除罪苦与くぐり輪・元気再生石」と書かれています。

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七転び八福神?

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石手寺は四国遍路開創の寺としても知られています。その由縁は
「衛門三郎縁起」
伊予国を治めていた河野家の一族で、豪農であった衛門三郎という者が
居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったと
いわれる。ある日、みすぼらしい僧が門前に現れ托鉢をこうたところ
その僧が弘法大師とも知らず、追い返してしまう。
弘法大師はこの地を通過されたとき、この男の評判を聞き、悪人を善心に
立ち帰らすのは出家の本分と、托鉢を行い彼を救おうとしたのです。
何日か通い続けたところ、遂に三郎は竹ほうきで大師の眉間に打ちかかり
ました。大師が鉄鉢で受け止めたところ、鉄鉢は八つに砕け散りました。
三郎には八人の子がいましたが、どういうことか、その翌日から子供達は
次々と急死。「八子他界は不憫なこと」と、大師は一夜で八塚を築かれ
菩提を弔られました。
八人の愛する子供を亡くした衛門三郎は、今までの数々の行いを悔い改め、
高僧にお会いして謝罪しようと四国遍路の旅に出たのです。
家を捨て身を忘れ四国を回ること二十回、いつしか三郎の姿はあの薄汚い
僧に似てきます。そして遍路を重ねるにつけ人の心の大切さを学びます。
それでもどうしても大師に出逢うこと叶わず、二十一回目は逆に回って
みますが、遂に阿波の国 焼山寺にて倒れてしまいます。
息も絶え絶えの三郎の枕元に突然弘法大師が現れ「よくぞ修行し改心した
望みがあればかなえよう」と言うと、三郎は「領主として生まれ変わって
人を助けたい」と泣き伏しました。
大師は路傍の石に「衛門三郎再生」と刻み、左手に握らせたところ三郎は
眠るがごとく安らかに息絶えたのでした。
時が過ぎ、伊予の国の領主である河野息利に長男が生まれます。しかし
この若君は左手を堅く握ったまま開くことをしませんでした。
若君三歳の春、当寺(この時は安養寺)にて祈願したところ、手を開かれ
その中から「衛門三郎再生」と書かれた石が現れたとされています。
これより安養寺は石手寺と改め、四国遍路開創の寺となりました。
現在もその石は宝物館で見ることができます。
※伝承なので物語は微妙に異なる部分があるようです。


さて、いよいよディープさの本番?マントラ洞窟へと向かいます。

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金剛界と胎蔵界を体感できるという・・・

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入り口で中を覗き込んで躊躇される方も居られましたが

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入る前から何だか怪しいですからね、無理もない。(^_^ゞ

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用意されているお賽銭箱に指定の100円を入れて・・・

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入るとすぐに現れるのが、やはり手作り感満載のトーテンポール風
不動明王かな?
右手にも通路があります。右に行くと四国八十八カ所霊場洞内巡礼。
その先には弘法大師修行場となっていますが、ほんとうにここで
修行されたのかどうだか・・・
とりあえず正面の通路を進むことにします。

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通路を2分するようにパイロン、いや、お地蔵さんが並んでいて
ロープが張られています。洞内はほとんど明かりも無く、真っ暗!
足元も見えない状態です。写真は後で増感しているので見えている
ようですが、実際は探り探りのような・・・

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ストロボは使わないようにしようとしましたが、そんなレベルの
暗さじゃありません。カメラのAF補助光照射でもピントがつかめず
シャッターが下りないことしばしば。

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途中、薄明かりの中で説明や仏像群を見ることが出来ます。
先を行った家族連れ、子ども達の騒ぐ声が響きます。
アトラクションとしては充分な刺激があったものと・・・(^_^ゞ

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結構長い、延々と続いた暗闇の世界からやっと解放されそうです。
出口が見えてきました。その手前には壁画が、暗くて良く見えません。

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「地底マントラ」出口もそれなりの演出が。地底と言っても
ほとんど平坦なんですがね・・・


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出たら途端に、普通にクルマが走れる生活道路?です。
ここからもよく見えます例の「日中友好弘法大師」。

ディープな地底マントラを体験して、後は引き返すだけ・・・
いえいえ、そんなことでは済みません、このお寺。
道路を隔てたところに「奥の院」が待ち受けています。

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その入り口は巨大閻魔像が鎮座したゲート、Welcom maha yenmar・・・
割れてしまって後が読めない英語表記も・・・国際的な感じもしますが
これで良いのやら?

しばらく荒れた庭の小径を歩き進むと、突如見えて来るのが・・・

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なんじゃこりゃ? これが奥の院?唖然。(゚〇゚;)

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「マントラ塔」と呼ばれているらしい国籍不明な仏塔?
見た人はUFOとか巨大カボチャとも・・・
黒い斑点を書き込めば草間彌生せんせのアート作品になりそう。
パンフレットには永代供養塔とも書かれているので、納骨堂?

当然中に入れるようで、見た方のレポによると天窓ステンドグラス、
シャンデリアが吊られていて2階建て。
おびただしい木彫りの仏像などなど、何とも言えない空間のようです。
入ろうとも思わなかったのですが、今は改装中で入れなかったとか。

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サンスクリット文字にカタカナのルビ付きの石塔、その下は仏足石?
何と言っても馬鹿でかい手が!中にはおびただしいビー玉・・・

ここはもう現代アートの展示場?周りの回廊には五百羅漢の木彫り像。

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断食修行中のブッダかな?子供が見たら泣くかも・・・

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昼間でも何処かへ連れ去られそうになる空間、夜には来たくないね。

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なんとこの場所の横には幼稚園が!(石手寺が経営している)
と言うことは園児の通園路?

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〈・・・〉


さて、裏石手寺はこれくらいにして(実際はもっといろいろあるみたい)
またマントル洞を通って表の石手寺に戻りましょう。

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ふぅ~ッ、結局、分かれ道の先、弘法大師修行の場には寄らず・・・
他にも見逃したもの多数?

ここに入る前にチラッと見えた、名刹には不相応な建物へと急ぎます。

疲れたので次回にね。(-。-;)


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2015.9/22、石手寺にて。
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難解な名刹・石手寺探訪。 [旅河童]

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四国霊場第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺。名刹?迷刹かも・・・

道後温泉の温泉街から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが
多く、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において
1つ星に選定されたお寺でもあります。

縁起によると、728年に伊予の豪族、越智玉純(おちのたまずみ)が
二十五菩薩の降臨を夢で見て、この地を霊地と悟り熊野十二社権現を
祀ったのが始まり。それを機に聖武天皇の勅願所となり、翌年に行基が
薬師如来像を彫造し本尊に祀って開基し、法相宗の「安養寺」と称した。
のち813年、弘法大師・空海が訪れ、真言宗に改めたとされる。
「石手寺」になったのは892年。最盛期には七堂伽藍六十六坊を数える
大寺院であったとされるが、戦国時代の兵火にあい衰退した。

と、ここまで読むと、古い歴史を持つ立派な名刹なんですが・・・
私が訪ねた理由は、ここが稀に見る珍スポットだと聞いたもので。(^_^ゞ

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〈洗い石・別名:渡らずの橋〉
門前にある石橋で弘法大師、お道開きの橋だが、裏に経文が刻まれて
おり、この橋を歩くと足が腐るという。ま、今は歩きたくても上に
コンクリートの橋が被さって、歩けそうに無い。

それより「わらいや」の看板が、何か暗示しているようで・・・

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龍神に乗る観音様? 右のは天女?自由の女神風かな。
参道に入る手前でもうこの調子・・・

〈弘法大師像〉ま、まともかな。それにしても像が多い。
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何故かガラスケースに、仏陀の像?。ヒンズー風。

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なにやら高い櫓が・・・中に木彫りの像が、まるでトーテンポール。
「天照皇大神」と書かれているが、とてもそうは見えない。(^_^ゞ

他にも色々あったが、見て見ぬ振りスルーして参道に入りましょう。

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屋根付の参道、まるでアーケード街?左右にはお店がありました。

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地蔵院など塔頭らしきお寺も。

ジャァーン!二王門、国宝です。立派な門なんですが・・・

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〈二王門〉国宝
ここは仁王じゃなく二王と表記するらしい。

大わらじも飾られています。何故かこの日は通り抜けできず。
門は閉まっていました。
周りには骨董品店かとも思える置物が支離滅裂に?置かれていました。

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看板多し、主張するのは良いが、国宝の門が・・・w
中の二王像は運慶派の作らしい。確かめられなかったけれど。

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門は閉まっていても、このお寺、何処からでも出入り自由。
ある意味、開かれた寺院。それにしても置物には統一感無し。

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パワースポットが幾つもあるらしい。七不思議ってのも・・・
と言うか、不思議と感じるものは無数にあった気がする。


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門の横から境内に入ると、いかにも名刹という感じ。
ほとんどの建物が重要文化財に指定されている。

振り返って観た二王門、鎌倉時代に建てられたもので、戦火も逃れた
重厚で、いかにも国宝にふさわしい建造物の気がする。

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ん~ッ、置かれているものをいちいち考察していたら
頭がもたない、見てみぬようスルーします。


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立派な三重塔、その先に見えるのは巨大な弘法大師像。
この裏山にそびえ立つ大師像は「日中友好弘法大師」だそうで
日中友好戦争反省平和を祈念して建てられたとのことです。

昨日、クルマで走っていて「なんやろ、あれ」って写真を撮ったのは
これだったのね・・・(^_^ゞ

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〈鐘楼〉
ここの鐘は参拝者が自由に撞けます。「仕合わせの鐘」だそうで。
奪い合いではなく与え合う仕合わせの鐘、パワースポットその1。


何か古い写真が大事そうに貼ってありました。
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お寺にもいろいろ事情があるようで・・・

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〈線香供養所?・札所〉
丸ぁるい石が気になります。実はあちこちに幾つも。

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何か分からないけれど、一応触っておきましょう・・・


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晴れ晴れとするようなお天気でしたが、すでに首を傾げる事多々。
きっと肩こりにはご利益あるかもです。

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〈手前が三重塔、奥が鐘楼〉
どちらも重要文化財です。周りが賑やかなので厳かな感じはしないけど。

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〈三重塔〉重文
名刹にふさわしい均整のとれた塔。これも戦火を逃れた鎌倉時代の作。

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ここの住職さん、京都大学の出身だそうで、学生時代の癖かな?
京大のキャンパスにもこんな立て看板をよく見た気がするけど・・・
石灯籠は、よくある善導寺型灯籠。ハート形がかわいい♪
茶道具とハートに見える猪目(いのめ)紋で構成されていますね。


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〈鐘楼〉重文
こちらの鐘は誰でも撞ける「仕合わせの鐘」とは違い、住職が撞きます。


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万灯会に使われたものかな?何かメッセージが浮かび上がるようですが。
数々の立て看板といい、やはり気になりますよね。
『公式ホームページ』はこんな具合です。

今の住職は、世襲で継がれた第43代目加藤俊生住職ですが、京都大学
仏教学専攻卒業し2004年から住職となられています。
タイ南部の孤児支援、ミャンマー人の学校援助など海外救援ボランティア
活動に尽力。
2013年、地元・愛媛の南海放送より南海放送賞特別賞を受賞。
東日本大震災における被災地救援のほか、ホームレスや自殺願望がある
人などを石手寺で預かり、自立や就職支援も行ってきたことが
受賞の理由だそうで。様々な活動経歴があるようです。
ちなみに国宝二王門が閉じられていたのも、安保法抗議のためだった
とのことです。

〈大師像〉
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おそらく〈賓頭盧尊者像〉と思われる。

門前、境内に弘法大師の像はいったい何体置かれているんだろ・・・?
金網の中に閉じ込められて?いるのは賓頭盧尊者様かな?
これって撫で仏、撫でた箇所が良くなるという・・・撫で難そうです。


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〈本堂〉重文
本堂前には巨大な密教法具?五鈷杵の形をしたオブジェが、で~んと。
本堂の右横に大師堂・絵馬堂、その奥に熊野十二社権現があります。
子授け・安産の神様を祀る訶梨帝母天堂(かりておいもてんどう)も
重要文化財です。ここの石を持ち帰って祈り、無事に出産した時に
持ち帰った石と新しい石を持参してお礼参りする風習があるそうです。

〈阿弥陀堂?〉
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熱心に祈られている老婦人、ここって安産祈願・・・じゃないですよね。
ボケ防止にご利益があるとか、私も祈っておけば良かったかな。(^_^ゞ

境内だけでもまだまだ見どころがあるのですが、すでに疲れ気味。
このあと待ち受けるもっとディープな世界を思うと、もちそうにない。
ここらで切り上げて先へ進む事にしました。


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2015.9/22、石手寺(いしてじ)にて。
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制限時間いっぱい。 [旅河童]

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四国紀行に戻ります。(^_^ゞ
お城でとろとろしていたから、レトロ建築をゆっくり観る時間が
無くなりました。と言うか目的地多くて・・・欲張り過ぎかな?

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〈愛媛県庁〉
クルマの中から撮りました。いやいやなかなか素晴らしい建造物。
1929年に本館が完成。1980年に別館が完成。そして、1982年に
県議会議事堂が完成し、現在にいたるそうです。
設計者は木子 七郎(きご しちろう)氏。愛媛県内に多くの名建築を
残した方だそうです。生まれは京都のようですが♪

いつかじっくり見学したい建物です。『愛媛県庁』


それよりもっと観たかったのがここ・・・

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〈萬翠荘(ばんすいそう)〉
設計者は愛媛県庁と同じく木子七郎氏です。
旧松山藩主の子孫,、久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が
別邸として建てた、フランス・ルネッサンス風の洋館。

松山城の南にある愛媛県庁のすぐ東、「坂の上の雲ミュージアム」の
前の道から少し登ったところにあります。

松山城のロープウェイを営業時間ギリギリで降りて、立体駐車場から
クルマを出して、ここに辿り着いたのが・・・6時前。
案内の方が「あと5分で門を閉めますが、見に行かれますか?
外からだけなら見れるとは思うけど・・・」ってことでした。
とりあえず観たいので、お願いしますと・・・門を入ったものの
建物前まで行くのにクルマでも1分以上はかかるのね。(^_^ゞ
往復の時間を考えれば写真を撮るのは1分か2分!

慌てた、慌てた。門を閉められたらと思うとね。

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ほんとうは中も見学したかった。
心残り・・・でも明日の予定も詰まっているし、ここもリベンジかな。
『萬翠荘』

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とにかく門が閉まるまでに出られました。案内の方はにこやかに
私達が出るのを確かめられて・・・
後で写真の日付を確かめると、すでに6時を回っていました。
待っていて下さったのね♪


さて、この日のホテルはお城の西側。くるっと回れば着きます。

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おぉ、路面電車♪ 『ぼっちゃん列車』にも乗ってみたかったけど
以前、道後温泉へ行った時に乗りそびれたからリベンジしたかった。
今回も無理みたい・・・

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ホテルと言っても『アパホテル松山城西』
その名の通り、松山城の真西にあります。

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窓からはお城の堀が見えました。

夕食は近くで探そうと思っていたので予約せず。ご近所をぶらぶら
イイ感じのお好み焼き屋さんに入りました。

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ここが結構アタリでして、関西風お好み焼きイカブタとネギ焼きを
セットメニューで注文したら、ボリューム満点。

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セットも色んなものが付いてきて、食べきれず。余ったものを
お持ち帰りで詰めてもらいました。
ちなみに、セットで選べるドリンク、クリームメロンソーダに
したのに、やっぱりお好み焼きにはビールでしょ!って思って
ノンアルコールのビールを注文。お腹ちゃぷちゃぷ・・・(^_^ゞ

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お好み焼きに小鉢3種、鶏唐揚げ+フライドポテト、大盛りのサラダ、
ソフトドリンクも付いたサービスセット。
半端無くリーズナブル、結婚40周年、私ららしいディナーかな。(^_^ゞ
『みつ蜂』また機会があれば行ってもよいお店でした。


さてと、アサーーッ!
東に見える勝山からの日の出、ちょうど松本城がシルエットに。

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SW、満室なので朝食は混みますよとは聞いていたのですが

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変哲無い朝食バイキングですが、品数はかなり多い方だったと思います。
『アパ社長カレー』も食べ放題です。意外と美味しかった♪


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APAホテルは初体験だと思いますが、悪くは無いですね。
クラシックな設えは、もともとミレニアホテル松山ってとこだった
ようで、古い建物では無いですが殺風景でもないかな。
部屋は狭くて駐車料金も別途だったけれど、安くは済みました。

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2015.9/22、アパホテル松山城西にて。
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橋から端まで走って・・・ [旅河童]

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シルバーウィーク、今年は2泊3日で愛媛、高知へ遊びに。
お天気にも恵まれオープンドライブ、秋風を満喫して来ました♪

いつもなら1泊旅行がせいぜい、今年はちょっと特別なので
仕事関係にも早くから無理を言っておきました。

結婚40周年「ルビー婚」の記念旅行ということで・・・
30周年の「真珠婚」の時は、パールにちなんで伊勢志摩に1泊ドライブ。
ルビーは・・・ミャンマーやスリランカに行くわけにもいかず。
何の脈略も無く四国へ。(^_^ゞ
愛車の10周年ってこともあり、たっぷりドライブを楽しめることを願い。
思いが天に通じたのか、日頃の行いが良かったのか・・・
晴天過ぎるでもなくオープンドライブには最適の晴れたり曇ったり、
この上なく快適なドライブが楽しめました。
全行程、1,032km。21日の朝6時半から23日夜9時半まで、ほとんどの
ルートをオープンで楽しむことができました♪

ただ、直前になり家内が肩を病んでしまい、何とか痛みを抑えて・・・
でも運転は出来ない状態。私一人で走破しなければ!
90歳でアルツの母親を置いての2泊3日は気がかりでしたが、こちらは
息子と介護ヘルパーをしているという息子の彼女が助けに来てくれると
いうので、心配ではありましたが何とか、記念旅行を決行できました。

これからはロングドライブ、旅行も難しくなるのかな・・・
今回は貴重な想い出になるかもね。
ってことで、写真も2,349枚も撮ってしまいました。(^_^ゞ
10年先は金婚式、愛車も20周年。
その時もこんなドライブ旅行ができれば、幸せなのですが・・・♪


初日、6時半に家を出て名神高速…中国道…山陽道。
途中渋滞もあり、遅れ気味だけれどのんびりと休みながら
「しまなみ海道」に到着したのがお昼前。

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「しまなみ海道」は岡山県・尾道から愛媛県・今治の間、瀬戸内海に
浮かぶ6つの島を7つの橋でつないだ快適ロード。
何度か走ってますが、一度7つの橋を写真に収めてみたかった。
左肩の痛みで腕が上がらない家内が無理を押して重いレンズをつけた
D5000を片手で扱い撮ってくれました。

本州と向島の間に架かる斜張橋〈新尾道大橋・尾道大橋〉
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向島と因島の間に架かる、多島美景観に調和する優美な吊橋
〈因島大橋〉
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因島と生口島を結ぶスレンダーな姿の複合斜張橋〈生口大橋〉

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生口島(いくちじま)で降りて『島ごと美術館』を観てみたかったの
ですが時間が無くてスルー。先を急ぎます。


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生口島と大三島、県境に架かる世界最長(建設当時)の斜張橋。
〈多々羅大橋〉
ここでちょっと休憩。
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大三島と伯方島間の鼻栗瀬戸に架かるアーチ橋〈大三島橋〉

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伯方島と大島間の風光明媚な宮窪瀬戸に架かる〈伯方・大島大橋〉
ここでは新型のロードスターとすれ違いました。
この3日間で十数台のロードスターを見かけましたが、7、8割が新型♪
一番嬉しい時期かもね。(^_^ゞ

〈大島大橋〉は吊り橋。
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〈伯方橋〉は桁橋、写真の順番が逆になりました。

最後に凄い橋が・・・
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大島と今治間の海の難所・来島海峡に架かる世界初の三連吊橋
〈来島海峡大橋〉
空にそびえる6基の主塔、美しく弧を描くケーブルが優美な姿を
みせており、20世紀の架橋技術の結晶といえるものだそうです。



最初の観光予定地「松山城」に辿り着いたのが午後2時。

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登城する前に、遅いお昼ご飯。さすがに連休、城下町は大勢の人で
賑わっていました。
・・・行列のできていないお店を探して(笑)

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お店の小窓からはお城の石垣が見えています。
観葉植物が生えているのは、お店の方の仕業だそうで・・・(^_^ゞ

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カレーうどんには、ジャガイモや人参がごろんごろん!
甘い玉子巻きと・・・ちょっと想像できなかったものでした。
名物・じゃこ天うどん。この辺りは、じゃこ天が名物なようで、
あちこちで看板を見ました。

松山城の様子は次回に。


この旅行に合わせて、古くなっていたナビを着け換えました。
以前のものは新車購入時に付属品として付けた純正HDDナビ。
10年前の型で一度、地図データは更新したものの地デジにも対応せず
TVも見られないし、今のメディアには対応していなくて、タッチパネルも
だだ狂いだし・・・。不便極まり無いものになっていたので。

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当時30万円ほどしたものが、機能もアップした今のメモリーナビだと
取付工賃含めて7万円までで着けられました。

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2015.9/21、しまなみ海道・多々良大橋にて。
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