安土城天主、信長の館。 [うろうろ探訪]
滋賀県近江八幡市安土町、駅前から文芸の郷へ移動しました。
『文芸の郷』は田園風景の中、広大な敷地に大きな施設群が建ち並んでいます。
しかもその建物が少し変っているので、違和感ありあり・・・(^_^ゞ
よく分らない施設群なので、HPによると
一見してローマ風の建物が建ち並ぶこの「文芸の郷」は、ヨーロッパ文化交流の国際都市としての安土桃山時代の象徴として誕生しました。 スペイン・セビリア万博の日本館メイン展示物として復元された安土城天主を展示している信長の館やパイプオルガンを備えたバロック調の音楽ホールである文芸セミナリヨ、総合体育館としてまた多目的ホールとしてスポーツや文化交流にと幅広く活用できるあづちマリエート、四季折々の味を生かした文芸の郷レストランなど、歴史と文化に出会える場所です。
・・・ということです。まだよく分ってませんが。(-。-;)
とりあえず、お腹が減っていたので(遅いランチです3時半)レストランへ。
敷地内の施設それぞれの中にも食べるところはあったのですが、レストランとして
独立しているのはここ「文芸の郷レストラン」だけ。
時間が時間なので、名物メニューの「戦国焼き定食」「安土御膳」などは売り切れ。
ましてや10食限定の「信長ハンバーグ定食」なんて・・・ネーミングはともかく
京都「はせがわ」まで修行に行かれた直伝の味。ってことで期待出来たのに(ザンネン)
「信長そば」と「カレーライス」。注文できたのはこんなもんでして、お蕎麦は
どこが「信長」なのか?? カレーライスは久しぶりに味わう業務用ボンカレー?
気を取り直して、向かったのは「信長の館」。
入館料一般500円、自動販売機で買うのですが、駅前でもらったパンフレットには
50円割引クーポンが付いていたので、直接受付で入館料を払ったのですが・・・
自動販売機で買うチケットには、あのレストランの100円食事券が付いていたとか(+_+)
館内はストロボ禁止の条件で撮影はOK♪
琵琶湖の葦(ヨシ)を漉いた紙で創られた和紙人形。信長の生い立ちから半生の
ストーリーが、シーンごとに並べられています。
さて、ここのメイン展示は何といってもスペイン・セビリア万博の
日本館メイン展示物として復元された安土城天主。
織田信長が築城した幻の名城「安土城」の最上部の5階、6階部分を復元展示。
発掘された当時の瓦を参考に焼きあげて再現した庇屋根、金箔10万枚を使用した
外壁、狩野永徳一門が描いたと伝えられている金碧障壁画の再現を鑑賞できます。
最上階(6階)信長の間?
5階部分は八角形で柱、床、庇までも朱色の漆塗り。6階部分はというと、
見える部分は全て金箔で被われ、金ぴか!何とも派手派手・・・
5階部分の内部も金箔が張り詰められ、意外にも仏画が描かれている。
幻の城「安土城」、その天主復元にあたっては、あらゆる参考文献(と言っても
ルイス・フロイスの『日本史』、イエズス会宣教師らの記録、『信長公記』、
『安土日記』などしか残っていない)や安土城のものかどうか明確ではない
『天守閣指図』と題する建物の図面などから、スペイン・セビリア万博に
展示されたものにさらに手を加え、知り得る限り往時の姿を忠実に原型原寸、
原色原素材で再現したものだそうです。
安土城自体、当時としては独創的。まずは天守閣なるものを造ったのは、この城が
最初だと言われています。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートルと
推測されており、その最上階が居住空間としての機能があった。まさに信長は
当時最高の木造高層建造物に住んでいたことになります。
木造建造物としては東寺の五重の塔57m、東大寺大仏殿48mなどありますが、
これらは塔であったりお堂であるので住居の機能はありません。
ちなみに天守閣と言う呼び方は明治以降につけられたもので、それまでは「天守」
と表現するのですが、特に安土城の場合は「天主」と表記されます。
他に「天主」と呼ばれる建物が岐阜城にありますが、これは城の麓にある御殿で
あり、同じ信長が造ったものでも安土城の天主とは、ちと違いますね。
私思うにこの城は、信長が「天下布武」を成し得たシンボル、記念碑。もしくは
自ら神であることを望んだ「信長教団?」の教会的なものではなかったかと・・・
軍事的な拠点ではなく、政治的な機能を持たせていたのは明らかで、
何より城といえば守りの要であるはずが、あまりにも防御策がなされていない。
大手門までの道は幅6mもある直線、これでは敵の大軍が攻め寄せたら
ひとたまりもない。籠城用の井戸も無く、火災に対する備えも無かったとみられる。
もう自分を攻めてくる敵なんぞありゃしないって自信の表われ?傲慢かも。
本当は不安だったかも知れないが、こういう表現の仕方が信長流なんでしょう。
安土城に関しては、今回は行けなかった安土城跡もあるので、いずれまた実際に
行って確かめられたらいいなと思っています。
「信長の館」、他の展示物はそれほど多くは無いのですが・・・
信長の南蛮フェチは有名ですが、天正9年(1581)京都御馬揃え(織田信長が京都で
行った大規模な観兵式・軍事パレード)にはビロードのマント、西洋帽子を着用し
現れたとか。戦場に赴く時にもこのような南蛮具足を身に付けていたらしい。
また、イエズス会が献上した地球儀・時計・世界地図などをよく理解したそうだ。
家臣などは地球が丸いなどの説明を理解できない様子だったが、
信長は「理にかなっている」と言い、科学的な見識も持っていたようです。
それまでの仏教僧が言う逸話など信じず、木や石は神仏ではないと断言したとか。
そのため安土城の石積みには石仏や仏足石まで、ただの石材扱いで使われています。
一方、安土城天主内の天井、壁画には仏画を描かしたり・・・宗教を否定していた
わけでは無さそうです。神道復興への功績も残していますし。
残忍非道なイメージの信長ですが「お・も・て・な・し」の気持ちも充分・・・
「安土御献立~信長の家康餐応膳~」の復元レプリカ展示
信長が、武田勝頼討伐に功をなした徳川家康を安土城にてもてなした時の献立を
復元したものだそうです。
この宴では信長の死に関わるミステリーも語られていますね。
何せ饗応役を命じられたのは明智光秀。しかし信長の逆鱗に触れ、途中解任されます。
このわずか半月後、信長は本能寺において光秀により討たれることに。
NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』のロケに、ここの天主が使われました。
イエズス会の画家ジョヴァンニ・ニッコロが描いた信長の肖像画
写実的で最も似ていると言われている肖像画です。なかなかの美男子だったようです。
妹の「お市」も絶世の美女だったとか、その娘たち三姉妹も美女揃いだったのかな。
ところで信長の正室「濃姫」との間には子が出来なかったとか、
それでも11男4女の子供が居たようです。(◎_◎)
フィギュアスケートの織田信成くんは、7男信高の家系だとか。
安土城 天主
ここにも天主の模型が置かれていましたが、安土駅前の「安土町城郭資料館」だと
内部構造も分ります。
そう言えばこんな映画もありましたね。
「信長の館」でくじ引きをやっていたので。信長くんステッカー、ゲット♪
・・・残念賞です。(^_^ゞ
2013.8/15、文芸の郷 信長の館にて。
『文芸の郷』は田園風景の中、広大な敷地に大きな施設群が建ち並んでいます。
しかもその建物が少し変っているので、違和感ありあり・・・(^_^ゞ
よく分らない施設群なので、HPによると
一見してローマ風の建物が建ち並ぶこの「文芸の郷」は、ヨーロッパ文化交流の国際都市としての安土桃山時代の象徴として誕生しました。 スペイン・セビリア万博の日本館メイン展示物として復元された安土城天主を展示している信長の館やパイプオルガンを備えたバロック調の音楽ホールである文芸セミナリヨ、総合体育館としてまた多目的ホールとしてスポーツや文化交流にと幅広く活用できるあづちマリエート、四季折々の味を生かした文芸の郷レストランなど、歴史と文化に出会える場所です。
・・・ということです。まだよく分ってませんが。(-。-;)
とりあえず、お腹が減っていたので(遅いランチです3時半)レストランへ。
敷地内の施設それぞれの中にも食べるところはあったのですが、レストランとして
独立しているのはここ「文芸の郷レストラン」だけ。
時間が時間なので、名物メニューの「戦国焼き定食」「安土御膳」などは売り切れ。
ましてや10食限定の「信長ハンバーグ定食」なんて・・・ネーミングはともかく
京都「はせがわ」まで修行に行かれた直伝の味。ってことで期待出来たのに(ザンネン)
「信長そば」と「カレーライス」。注文できたのはこんなもんでして、お蕎麦は
どこが「信長」なのか?? カレーライスは久しぶりに味わう業務用ボンカレー?
気を取り直して、向かったのは「信長の館」。
入館料一般500円、自動販売機で買うのですが、駅前でもらったパンフレットには
50円割引クーポンが付いていたので、直接受付で入館料を払ったのですが・・・
自動販売機で買うチケットには、あのレストランの100円食事券が付いていたとか(+_+)
館内はストロボ禁止の条件で撮影はOK♪
琵琶湖の葦(ヨシ)を漉いた紙で創られた和紙人形。信長の生い立ちから半生の
ストーリーが、シーンごとに並べられています。
さて、ここのメイン展示は何といってもスペイン・セビリア万博の
日本館メイン展示物として復元された安土城天主。
織田信長が築城した幻の名城「安土城」の最上部の5階、6階部分を復元展示。
発掘された当時の瓦を参考に焼きあげて再現した庇屋根、金箔10万枚を使用した
外壁、狩野永徳一門が描いたと伝えられている金碧障壁画の再現を鑑賞できます。
最上階(6階)信長の間?
5階部分は八角形で柱、床、庇までも朱色の漆塗り。6階部分はというと、
見える部分は全て金箔で被われ、金ぴか!何とも派手派手・・・
5階部分の内部も金箔が張り詰められ、意外にも仏画が描かれている。
幻の城「安土城」、その天主復元にあたっては、あらゆる参考文献(と言っても
ルイス・フロイスの『日本史』、イエズス会宣教師らの記録、『信長公記』、
『安土日記』などしか残っていない)や安土城のものかどうか明確ではない
『天守閣指図』と題する建物の図面などから、スペイン・セビリア万博に
展示されたものにさらに手を加え、知り得る限り往時の姿を忠実に原型原寸、
原色原素材で再現したものだそうです。
安土城自体、当時としては独創的。まずは天守閣なるものを造ったのは、この城が
最初だと言われています。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートルと
推測されており、その最上階が居住空間としての機能があった。まさに信長は
当時最高の木造高層建造物に住んでいたことになります。
木造建造物としては東寺の五重の塔57m、東大寺大仏殿48mなどありますが、
これらは塔であったりお堂であるので住居の機能はありません。
ちなみに天守閣と言う呼び方は明治以降につけられたもので、それまでは「天守」
と表現するのですが、特に安土城の場合は「天主」と表記されます。
他に「天主」と呼ばれる建物が岐阜城にありますが、これは城の麓にある御殿で
あり、同じ信長が造ったものでも安土城の天主とは、ちと違いますね。
私思うにこの城は、信長が「天下布武」を成し得たシンボル、記念碑。もしくは
自ら神であることを望んだ「信長教団?」の教会的なものではなかったかと・・・
軍事的な拠点ではなく、政治的な機能を持たせていたのは明らかで、
何より城といえば守りの要であるはずが、あまりにも防御策がなされていない。
大手門までの道は幅6mもある直線、これでは敵の大軍が攻め寄せたら
ひとたまりもない。籠城用の井戸も無く、火災に対する備えも無かったとみられる。
もう自分を攻めてくる敵なんぞありゃしないって自信の表われ?傲慢かも。
本当は不安だったかも知れないが、こういう表現の仕方が信長流なんでしょう。
安土城に関しては、今回は行けなかった安土城跡もあるので、いずれまた実際に
行って確かめられたらいいなと思っています。
「信長の館」、他の展示物はそれほど多くは無いのですが・・・
信長の南蛮フェチは有名ですが、天正9年(1581)京都御馬揃え(織田信長が京都で
行った大規模な観兵式・軍事パレード)にはビロードのマント、西洋帽子を着用し
現れたとか。戦場に赴く時にもこのような南蛮具足を身に付けていたらしい。
また、イエズス会が献上した地球儀・時計・世界地図などをよく理解したそうだ。
家臣などは地球が丸いなどの説明を理解できない様子だったが、
信長は「理にかなっている」と言い、科学的な見識も持っていたようです。
それまでの仏教僧が言う逸話など信じず、木や石は神仏ではないと断言したとか。
そのため安土城の石積みには石仏や仏足石まで、ただの石材扱いで使われています。
一方、安土城天主内の天井、壁画には仏画を描かしたり・・・宗教を否定していた
わけでは無さそうです。神道復興への功績も残していますし。
残忍非道なイメージの信長ですが「お・も・て・な・し」の気持ちも充分・・・
「安土御献立~信長の家康餐応膳~」の復元レプリカ展示
信長が、武田勝頼討伐に功をなした徳川家康を安土城にてもてなした時の献立を
復元したものだそうです。
この宴では信長の死に関わるミステリーも語られていますね。
何せ饗応役を命じられたのは明智光秀。しかし信長の逆鱗に触れ、途中解任されます。
このわずか半月後、信長は本能寺において光秀により討たれることに。
NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』のロケに、ここの天主が使われました。
イエズス会の画家ジョヴァンニ・ニッコロが描いた信長の肖像画
写実的で最も似ていると言われている肖像画です。なかなかの美男子だったようです。
妹の「お市」も絶世の美女だったとか、その娘たち三姉妹も美女揃いだったのかな。
ところで信長の正室「濃姫」との間には子が出来なかったとか、
それでも11男4女の子供が居たようです。(◎_◎)
フィギュアスケートの織田信成くんは、7男信高の家系だとか。
安土城 天主
ここにも天主の模型が置かれていましたが、安土駅前の「安土町城郭資料館」だと
内部構造も分ります。
そう言えばこんな映画もありましたね。
「信長の館」でくじ引きをやっていたので。信長くんステッカー、ゲット♪
・・・残念賞です。(^_^ゞ
2013.8/15、文芸の郷 信長の館にて。
カッパのロードスター
こんばんは〜文芸の郷、確かに違和感がありそうですね・・・
しかし、信長そばも食べてみたいしボンカレーも食べてみたい!
琴姫七変化を思い出しますよ。おもてなし豪華ですね〜
by Hide (2013-09-10 21:34)
★Hideさん、こんばんは。
文芸の郷、ローマ風ってことですが・・・?
宣教師に因んでのことなのか、何なのか?(^_^ゞ
文芸の郷レストラン、名前と建物だけは立派なんですがねw
松山容子さんでしたっけ、古ッ!(笑)
おもてなし、家康を毒殺しようとしたって噂も・・・!
by 路渡カッパ (2013-09-11 01:13)
おはようございます
何か、不思議な感じの町ですね!
おもてなしの献立がすごいですね(^-^)
by すー (2013-09-11 04:49)
文芸の里。。スゴイ物が出来てますね。
10食限定の「信長ハンバーグ定食」は、少なすぎますね。
中に何が入っているのかな?
気になります。。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2013-09-11 07:08)
建物の外観と展示物のギャップがいいですね^^
信長の館だとは判断し辛いかも。
by hrd (2013-09-11 07:17)
おはようございます。
たぶんこのあたりは行かないだろうな。
信長ハンバーグ定食って不思議なものですね。
安土桃山成金文化の典型ですね。
by 京男 (2013-09-11 08:12)
安土城の発掘も進み、周辺も整備されています
但し、車イスでは城跡までは行けません(^^ゞ
by ヒロシ (2013-09-11 11:40)
近江八幡市には、ちょくちょく出かけたけど
安土には、行ってないなあ・・・・・・・
この秋にでも出かけてみるか!
by kazenotomo (2013-09-11 14:29)
★すーさん、こんにちは。
何か特徴が欲しいのでしょうが、ちょっとぎぐはぐな感じかな?(^_^ゞ
家康餐応膳、意外と食材も豊かだったのですね。
★横 濱男さん、ありがとうございます。
いわゆる箱もの行政ってやつかな・・・w
信長ハンバーグ、メニュー写真を見る限りでは、変哲無かったです。(^_^ゞ
10食限定にする意味もよく分りませんが・・・
★hrdさん、ありがとうございます。
信長の館、写真撮影OKは良いのですが屋内なので全貌が撮れませんでした。
もう少し大きな建物にしてくれれば良かったのに。
★京男さん、こんにちは。
安土桃山(伏見)時代、歴史に名を残す割にはメジャーな土地柄じゃ無いですね。
成金、まさに地方武士が天下の実権を握るようになった時代ですね。
いかにそれまでの体制が腐り切っていたかとも言えますね。
★ヒロシさん、ありがとうございます。
安土城跡はかなり険しいようですね、一度行ってみたいとは思っているのですが・・・
リフトでも出来ないかなぁ?
★kazenotomoさん、ありがとうございます。
安土の町、何にも無いってイメージですもんね。
掘り起こせば何か出てくるかも。(^_-)
by 路渡カッパ (2013-09-11 17:13)
路渡さん今晩は〜、信長の肖像画、とてもいいですね!
でも信長が、じ〜っと座っていたとは、とても思えません。
ニッコロさんも何度ペンを置いた事でしょう・・・
by Hide (2013-09-11 17:44)
ネーミングと味付けに突っ込みたくなるようなお食事ありますね~。
一部の復元とはいえ安土城は迫力あります。
信長凛々しいです!(^^)!。。
by ANIKI (2013-09-11 19:57)
★Hideさん、こんばんは。
肖像画、さすが西洋の写実画。似ている気になりますね。
ただ下手に醜男に描いたら・・・二ッコロさん、首を刎ねられていたかもww
★ANIKIさん、ありがとうございます。
信長とハンバーグ・・・どうしても繋がりません。(-。-;)
安土城、完全復元して観光地に!って声は以前から上がっているのですがね。
今、造るとしたら耐震構造やらで鉄筋コンクリート造りになるでしょうね。
by 路渡カッパ (2013-09-12 00:35)
こんにちは〜いつもありがとうございます。
事務所では仕事も捗らず困ったものです、帰りたいのでが
とても帰れません、まだ早過ぎますね・・・家で落ち着いて
仕事がしたいものです・・・ではではまた。
信長くんステッカーのイラストがいいですね〜
by Hide (2013-09-12 12:15)
名君と誉れ高い徳川三代将軍家光公は、浅井三姉妹の三女お江の生んだ竹千代ですが、この竹千代は乳母である春日局の実子であるという記録が残っているそうです。
しかも、家康と春日局は現在の焼津市内で“密会していた”という記録もあります。
詳しくは、下記のブログで
http://moony-flight.blog.so-net.ne.jp/2011-05-09
by 風来鶏 (2013-09-12 12:35)
★Hideさん、こんにちは。
私は大した仕事はしていませんが、自宅派でして。長く職住兼業でやっております。一時期、三条の事務所に通いましたが、すぐにめげました。(^_^ゞ
職住兼業、便利な点もありますが、やはり刺激が少ないです。
信長ステッカー、良いのですが・・・貼っておくところは無いですね。(゚ε゜;)
★風来鶏さん、ありがとうございます。
歴史ミステリー、面白いですね。新たな資料や証拠が出てくると、推測や憶測で色んなストーリーが考えられます。
この話しは初めてですが、充分ありうる話しですね。つじつまも合いますしね。
秀吉の死後、北の政所ねねと家康の良からぬ関係も噂されたり、歴史の裏に女あり・・・ですね。
by 路渡カッパ (2013-09-12 15:28)
安土城復元天守にはぶっ飛びました。すごい、の一言。
今はどうだか、昔、熱海に熱海城なる観光用のお城がありまして、観光客が来ないから、当時大河ドラマの信長にあやかって全館を信長一色にして虚実ないまぜの「信長の野望テーマ館」にするという企画をやらされました。信長を昇竜に例え、入り口から続く竜の蛇体を辿って天守に至る、といようなことを考えました。その時に図面で天守の様子は知りましたが、立体同寸で見たのは初めてです、
by sig (2013-09-12 17:42)
「信長の館」の里、では予算がおりなかったのか、いろんなのを入れろという実力者がいたのか、ヘンテコな全体施設ですね。でも、信長の館は、ぜひ近くで見てみたいです。
by 足立sunny (2013-09-12 18:34)
★sigさん、ありがとうございます。
あちゃ〜!むちゃ振りな企画だったのですね。その時の人気に便乗、よくあることかも知れませんが。(^_^ゞ
謎の多い安土城、天主もまだまだ論争絶えないので、復元を造るのも難しかったでしょうね。
★足立Sunnyさん、ありがとうございます。
確かに、よく分らない施設です。文化庁がらみの「近江風土記の丘」の中心的施設群のようですが・・・
by 路渡カッパ (2013-09-12 22:02)
津本陽の「下天は夢か」を読んで、信長ってヤ○ザやん!って思ってしましました。
by しばちゃん2cv (2013-09-13 21:45)
★しばちゃん2cvさん、ありがとうございます。
色んな解釈、描かれ方をしてますね。信長に限らずですが
歴史的な人間の人物像を推測するのは面白いものですね♪
by 路渡カッパ (2013-09-14 10:26)
琵琶湖の葦で作られたお人形さん
照明もいいかんじで、なかなかグー♪です
うつけてる信長が着てる着物の柄が、またステキ^^
by はなだ雲 (2013-09-14 22:06)
★はなだ雲さん、ありがとうございます。
着物の柄、なんだか猫ちゃんが描かれていますね・・・(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2013-09-15 17:36)
信長の館は撮影はOKでもネットに掲載はNGでしたよ
by ちょっと (2016-03-09 06:54)