大陸偲ぶ、万福寺。 [京都うろうろ]
山門を 出れば日本ぞ 茶摘うた(菊舎)。異国情緒あふれるお寺です。
京都・宇治にある黄檗山萬福寺。京都の寺にしては一風変わっているかも。
菊舎の句は、萬福寺の境内であたかも中国にいるような錯覚に陥っていたところ、
山門を出て茶摘み唄を聞いて「ここは日本、宇治なんだ…」と、我に返った
ことを詠んだものだそうです。
黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀式で行われ、毎日誦まれる
お経は黄檗唐韻で発音し、中国明代そのままの法式梵唄(ぼんばい)を
継承しています。
建造物も中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置で、創建当初の姿そのままを
今日に伝える寺院は日本では他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として、
主要建物、回廊、額、聯(れん)などが国の重要文化財に指定されています。
初代隠元から第13代まで中国渡来僧が代々住持(住職)を占めた。しかし、
時が経つうちに渡来する中国僧が少なくなり、第21代を最後に第22代から
第61代まで和僧が住職となっている。
その61代住職・岡田亘令師が昨年の暮れに亡くなったようで、総門前と
塔頭瑞光院には「山門不幸」の立札が立っていました。
この総門の扁額、表は「第一義」と書かれています。空を以って第一義となす
…ここで学ぶ者は何ものにもとらわれないように。という意味かな。
内側は風水的モチーフの一つ「白虎鏡」で、平等を意味しているのだとか。
〈三門〉
軒の扁額は縦書きで「黄檗山」、門には「萬福寺」。共に隠元禅師の書です。
思いの外、立派な三門でした。
三門とは空門・無相門・無願門の三つの境地を経て、仏国土へと至る門、
「三解脱門」を表すといわれています。
なまぐさもの、酒を禁じるという意味で立てられている「禁牌石」とともに、
ここから先が聖域である事を示す結界であり、入門する者の心得を説いてます。
ちなみに元々、萬福寺には三門は無かった。
それは三門が本来、中国の寺には無く、日本の臨済宗の他の寺(東福寺、
妙心寺、南禅寺、大徳寺など)には三門があるということで、
それに習い、途中で造られたとのこと。
境内の奥へと導く参道に敷かれた菱形の石盤は、龍の鱗を表している。
左右対称、回廊が巡らされた伽藍形式も中国の影響を受けているとか。
灯篭も中国風?床も龍の鱗のようです。これほど中国に拘るのには訳が…
そもそも中国福建省で住職をされていて高名だった隠元禅師を、度重ねて
招請し、3年間の約束で来てもらったのですが、3年過ぎても帰したくない。
中国から再三の帰国要請があったものの、どうしても引き留めたいと考え、
隠元禅師が中国で住職をされていた「黄檗山万福寺」の名もそのままに、
ここにそれを模した寺院を建て、留まってもらうことになったようです。
結果、隠元禅師は日本に骨を埋めることに・・・
さてさて、三門から真っ直ぐ。玄関ともされる「天王殿」があります。
〈天王殿〉
天王殿正面には、中国で弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身だと言われている
布袋さんが弥勒浄土の兜卒天(とそつてん)に椅坐(いざ)された姿で
祀られています。
〈弥勒菩薩(布袋)座像〉
布袋は名を契此(かいし)といい、南北朝末後梁の高僧で定応大師と号しました。
中国では弥勒菩薩の化現として信仰されています。
布袋は参拝する人の口からその煩悩を吸い込み、袋から徳を取りだして
授けるとわれています。
萬福寺の布袋さんは「都七福神の布袋さん」としても知られている。
七福神の中では唯一、実在のモデルが居るってことになりますね。
弥勒菩薩の化身と言われていますが、あの広隆寺の弥勒菩薩像と同じ?
随分、体形が違うように思うのですが。(^_^ゞ
この天王殿には他にも同居人がおられます。
正面でどっかり座って、呑気そうに笑っている布袋さんの背面には
韋駄天さん、そして四方を囲むように四天王が力んでいます。(^_^ゞ
左から持国天、増長天。
韋駄天
左に広目天、右は多聞天。
〈持国天〉東の守護。
甲冑姿で、剣を持ち邪鬼を踏みつけて憤怒の様。増長天とペアで仁王とされる。
〈増長天〉南の守護。
右手に宝刀、左手に戟(げき)を持っているのかな、中国式かも。
持国天とペアを組めば、仁王様(金剛力士像)となります。
〈韋駄天〉
こちらは四天王と違い穏やかな表情をされています。足が速いので有名♪
捷疾鬼が仏舎利を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻したという
武勇伝が・・・「韋駄天走り」の語源ですね。
この像を見る限り、若くてスポーツ万能。イケメン アスリート?(^_^ゞ
また、韋駄天が釈尊のために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に
由来して「ごちそう(御馳走)」という言葉が出来たそうです。
馳走とは食料調達のため奔走することの意味、「ごちそうさま」というのは
馳走してもらったことに対する感謝の気持ちです。
ちなみにこの像には、金網の扉が用意されています。これはこの韋駄天さん
モテモテなので夜遊びをしないように設けられたものだそうです。
〈広目天〉西の守護。
こちらも凄い形相、尋常じゃない眼、千里眼とも。綱など持って邪鬼を
踏みつけています。ちょっとSMチック?(^_^ゞ
〈多聞天〉北の守護。
四天王のリーダー格。さすがに強そう、武神として戦闘の神とされています。
単独の場合は、ご存知「毘沙門天」と呼ばれ、七福神の一員ですね♪
〈天王殿〉東側だったかな?
〈売茶堂〉(まいさどう)。売茶翁こと、月海元昭が祀られている。
全日本煎茶道連盟の本部がここにおかれています。
〈聯燈堂〉(りゅうとうどう?)歴代幹部僧侶の位牌を安置するお堂なのかな。
わおっ!こわッ、鬼瓦というより般若瓦?
〈鐘楼〉階上に梵鐘があります。鐘楼としてはかなり珍しい建物かも。
同じ建物が天王殿を中央にして反対側に鼓楼が配置されています。
朝4時半の開静と晩の9時の開枕に、鐘楼の鐘と鼓楼の太鼓がともに
時を告げ、また賓客来山のときに鐘鼓交鳴して歓迎を表わすのだそうです。
〈伽藍堂〉ここに安置されている華光菩薩像は、大変珍しいものだそうです。
〈斎堂〉食堂のことで、約300人が一堂に会して食事できるとか。
斎堂前の回廊には、青銅製の雲版と木製の開梛が吊るされています。
〈雲版〉(うんぱん)。朝、昼の食事の合図と朝課の時に打つものです。
〈開梛〉(かいぱん)。時を報せたり、人を集める為に鳴らされるもの。
開梛は木魚の原型とも言われ、萬福寺のシンボル的なものですね。
魚の形をしているのは、魚は常に目を開けていることから、修行時に眠る
ことなく精進せよとの意もあるのだそうです。
なお、口の球体は咥えているのではなく、お腹を叩かれ、あぶくとして
吐き出そうとしている煩悩を表していると言うことらしい。
さて、本堂ともいうべき「大雄宝殿」を目指します。伽藍配置は単純な
左右対称なんですが、見どころが多いので迷いそう・・・(^_^ゞ
〈香炉〉
大陸、中国的な意匠が異質な空間をつくり上げている寺院です。
ま、日本の寺院と言ってもルーツは大陸伝来のものですが・・・
2015.1/25、黄檗山萬福寺にて。
京都・宇治にある黄檗山萬福寺。京都の寺にしては一風変わっているかも。
菊舎の句は、萬福寺の境内であたかも中国にいるような錯覚に陥っていたところ、
山門を出て茶摘み唄を聞いて「ここは日本、宇治なんだ…」と、我に返った
ことを詠んだものだそうです。
黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀式で行われ、毎日誦まれる
お経は黄檗唐韻で発音し、中国明代そのままの法式梵唄(ぼんばい)を
継承しています。
建造物も中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置で、創建当初の姿そのままを
今日に伝える寺院は日本では他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として、
主要建物、回廊、額、聯(れん)などが国の重要文化財に指定されています。
初代隠元から第13代まで中国渡来僧が代々住持(住職)を占めた。しかし、
時が経つうちに渡来する中国僧が少なくなり、第21代を最後に第22代から
第61代まで和僧が住職となっている。
その61代住職・岡田亘令師が昨年の暮れに亡くなったようで、総門前と
塔頭瑞光院には「山門不幸」の立札が立っていました。
この総門の扁額、表は「第一義」と書かれています。空を以って第一義となす
…ここで学ぶ者は何ものにもとらわれないように。という意味かな。
内側は風水的モチーフの一つ「白虎鏡」で、平等を意味しているのだとか。
〈三門〉
軒の扁額は縦書きで「黄檗山」、門には「萬福寺」。共に隠元禅師の書です。
思いの外、立派な三門でした。
三門とは空門・無相門・無願門の三つの境地を経て、仏国土へと至る門、
「三解脱門」を表すといわれています。
なまぐさもの、酒を禁じるという意味で立てられている「禁牌石」とともに、
ここから先が聖域である事を示す結界であり、入門する者の心得を説いてます。
ちなみに元々、萬福寺には三門は無かった。
それは三門が本来、中国の寺には無く、日本の臨済宗の他の寺(東福寺、
妙心寺、南禅寺、大徳寺など)には三門があるということで、
それに習い、途中で造られたとのこと。
境内の奥へと導く参道に敷かれた菱形の石盤は、龍の鱗を表している。
左右対称、回廊が巡らされた伽藍形式も中国の影響を受けているとか。
灯篭も中国風?床も龍の鱗のようです。これほど中国に拘るのには訳が…
そもそも中国福建省で住職をされていて高名だった隠元禅師を、度重ねて
招請し、3年間の約束で来てもらったのですが、3年過ぎても帰したくない。
中国から再三の帰国要請があったものの、どうしても引き留めたいと考え、
隠元禅師が中国で住職をされていた「黄檗山万福寺」の名もそのままに、
ここにそれを模した寺院を建て、留まってもらうことになったようです。
結果、隠元禅師は日本に骨を埋めることに・・・
さてさて、三門から真っ直ぐ。玄関ともされる「天王殿」があります。
〈天王殿〉
天王殿正面には、中国で弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身だと言われている
布袋さんが弥勒浄土の兜卒天(とそつてん)に椅坐(いざ)された姿で
祀られています。
〈弥勒菩薩(布袋)座像〉
布袋は名を契此(かいし)といい、南北朝末後梁の高僧で定応大師と号しました。
中国では弥勒菩薩の化現として信仰されています。
布袋は参拝する人の口からその煩悩を吸い込み、袋から徳を取りだして
授けるとわれています。
萬福寺の布袋さんは「都七福神の布袋さん」としても知られている。
七福神の中では唯一、実在のモデルが居るってことになりますね。
弥勒菩薩の化身と言われていますが、あの広隆寺の弥勒菩薩像と同じ?
随分、体形が違うように思うのですが。(^_^ゞ
この天王殿には他にも同居人がおられます。
正面でどっかり座って、呑気そうに笑っている布袋さんの背面には
韋駄天さん、そして四方を囲むように四天王が力んでいます。(^_^ゞ
左から持国天、増長天。
韋駄天
左に広目天、右は多聞天。
〈持国天〉東の守護。
甲冑姿で、剣を持ち邪鬼を踏みつけて憤怒の様。増長天とペアで仁王とされる。
〈増長天〉南の守護。
右手に宝刀、左手に戟(げき)を持っているのかな、中国式かも。
持国天とペアを組めば、仁王様(金剛力士像)となります。
〈韋駄天〉
こちらは四天王と違い穏やかな表情をされています。足が速いので有名♪
捷疾鬼が仏舎利を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻したという
武勇伝が・・・「韋駄天走り」の語源ですね。
この像を見る限り、若くてスポーツ万能。イケメン アスリート?(^_^ゞ
また、韋駄天が釈尊のために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に
由来して「ごちそう(御馳走)」という言葉が出来たそうです。
馳走とは食料調達のため奔走することの意味、「ごちそうさま」というのは
馳走してもらったことに対する感謝の気持ちです。
ちなみにこの像には、金網の扉が用意されています。これはこの韋駄天さん
モテモテなので夜遊びをしないように設けられたものだそうです。
〈広目天〉西の守護。
こちらも凄い形相、尋常じゃない眼、千里眼とも。綱など持って邪鬼を
踏みつけています。ちょっとSMチック?(^_^ゞ
〈多聞天〉北の守護。
四天王のリーダー格。さすがに強そう、武神として戦闘の神とされています。
単独の場合は、ご存知「毘沙門天」と呼ばれ、七福神の一員ですね♪
〈天王殿〉東側だったかな?
〈売茶堂〉(まいさどう)。売茶翁こと、月海元昭が祀られている。
全日本煎茶道連盟の本部がここにおかれています。
〈聯燈堂〉(りゅうとうどう?)歴代幹部僧侶の位牌を安置するお堂なのかな。
わおっ!こわッ、鬼瓦というより般若瓦?
〈鐘楼〉階上に梵鐘があります。鐘楼としてはかなり珍しい建物かも。
同じ建物が天王殿を中央にして反対側に鼓楼が配置されています。
朝4時半の開静と晩の9時の開枕に、鐘楼の鐘と鼓楼の太鼓がともに
時を告げ、また賓客来山のときに鐘鼓交鳴して歓迎を表わすのだそうです。
〈伽藍堂〉ここに安置されている華光菩薩像は、大変珍しいものだそうです。
〈斎堂〉食堂のことで、約300人が一堂に会して食事できるとか。
斎堂前の回廊には、青銅製の雲版と木製の開梛が吊るされています。
〈雲版〉(うんぱん)。朝、昼の食事の合図と朝課の時に打つものです。
〈開梛〉(かいぱん)。時を報せたり、人を集める為に鳴らされるもの。
開梛は木魚の原型とも言われ、萬福寺のシンボル的なものですね。
魚の形をしているのは、魚は常に目を開けていることから、修行時に眠る
ことなく精進せよとの意もあるのだそうです。
なお、口の球体は咥えているのではなく、お腹を叩かれ、あぶくとして
吐き出そうとしている煩悩を表していると言うことらしい。
さて、本堂ともいうべき「大雄宝殿」を目指します。伽藍配置は単純な
左右対称なんですが、見どころが多いので迷いそう・・・(^_^ゞ
〈香炉〉
大陸、中国的な意匠が異質な空間をつくり上げている寺院です。
ま、日本の寺院と言ってもルーツは大陸伝来のものですが・・・
2015.1/25、黄檗山萬福寺にて。
宇治へ向かう途中に立ち寄ったことが有りますが
ゆっくり拝観できず素通り状態でした、見どころが多いですね
by koh925 (2015-02-05 15:58)
万福寺、参拝したいですね。
鬼瓦じゃないですね。
まさしく般若瓦です。。。
桃太郎侍が出てきそう。。(^_^)
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2015-02-05 18:55)
素晴らしいお寺ですね、特に仏像や四天王や他の像が素晴らしいですね。
我が家にも布袋さんが床の間に座っておられますよ。
by 馬爺 (2015-02-05 21:52)
さりげないお庭の風景は、よくみるとさりげなく計算しつくされた美しさがあって素晴らしいですね。
by 駅員3 (2015-02-06 07:28)
参詣するつもりで山門前まで行き入門を諦めた寺院でした・・・(^^ゞ
撮り放題の仏像等、じっくりと眺めさせていただきました♪
by ヒロシ (2015-02-06 09:03)
万福寺には是非行きたいですね〜布袋さんの腹には負けますが
四天王は素晴らしく、この目でしっかり見たいと思います・・・
広目天は最高ですね、とても彫れそうも無いかな・・・
by Hide (2015-02-06 10:35)
★koh925さん、ありがとうございます。
素通り状態は勿体無かったかもしれませんね、
また機会がありましたら、じっくり観られても良いかと思います。
★横 濱男さん、ありがとうございます。
何となく見上げたら、ゲゲッ!鬼瓦じゃない!って。(^_^ゞ
般若瓦、外したら高橋英樹瓦が出てきたらビックリですね!
★馬爺さん、ありがとうございます。
意外と見どころの多いお寺でした、写真を撮るのも楽しかったです。
この日、私は小さい布袋みくじを買って帰りましたよ。床の間は無いけれど・・・(^_^ゞ
★駅員3さん、ありがとうございます。
幾何学的な文様も多くみられて、日本の情緒的な庭園とは少し味わいが違いますね。
ま、修業の場ということで合理的な配置になっているのでしょうけど。(^_-)
★ヒロシさん、ありがとうございます。
私も一度は三門前で帰った経験があります。中を覗いたら結構時間がかかりそう、手強いぞと思い、今回出直しました。
撮り放題の仏像、まだたっぷりと・・・ご本尊や十八羅漢像などありますよ♪
by 路渡カッパ (2015-02-06 10:52)
★hideさん、ありがとうございます。
どれも迫力のある仏像でしたよ。布袋像は范 道生作ですが、
四天王像も中国僧の作のようです。持国天像は日本人仏師作といわれていますが。
私には違いが分りません・・・(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2015-02-06 11:10)
京都御所の北東角にある「猿が辻」の“木彫りのお猿さん”も、路渡カッパさんのように夜遊びしないよう、金網が張ってあるのでしたね^^;)
by 風来鶏 (2015-02-06 20:44)
★風来鶏さん、ありがとうございます。
猿が辻の猿はね、夜な夜な人を襲ったり悪さをするから。ま、祇園通いしてたとの噂?もあったりなかったり(笑)
ここの韋駄天さんは、京都でもイケメン仏像ベスト10に入る人気だとか。
ん〜、ちょっと私と似てるかもね・・・(^_^ゞ
誰や!布袋さんのお腹がそっくりやって!
by 路渡カッパ (2015-02-06 22:32)
こんにちは。
今回も圧倒的な大作記事ですね。特に四天王の像は見事なものですね。解説も詳しく、興味深く拝見させていただきました。それに写真がまたすばらしいです。
by sig (2015-02-07 13:25)
★sigさん、こんばんは。
長々と済みません。(^_^ゞ
写真はもっとじっくり撮りたかったのですが、見どころが多いもので
結構雑になってしまいました。またリベンジしたいと思っています。
by 路渡カッパ (2015-02-07 22:40)
ご馳走さまの由来が韋駄天だったなんて
言われてみれば、ナルホド~ってかんじでした
瞬足の韋駄天がモテモテだったという話も
足が速い人って俊敏でマメな感じがしますし、こちらもナルホド~ってかんじでした^^
by はなだ雲 (2015-02-07 23:38)
★はなだ雲さん、ありがとうございます。
何気なく使っている仏教用語が語源の言葉って、結構多いですね。
ご飯のことをシャリって言うのもそうだし、喫茶や食堂も・・・
ここの韋駄天さん、イケメンで人気者♪ 仏女からファンレターも届くそうですよ。(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2015-02-08 00:12)