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西国三十三所巡礼 第三十番札所 巌金山 宝厳寺 [西国三十三所巡礼]

琵琶湖の北端に浮ぶ小島、竹生島。そこは古くから信仰の島でした・・・

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竹生島は周囲2キロ、面積は0.14平方キロメートルという小さな島ですが
琵琶湖の最深部に近いところにポコッと頭を出している感じ。
船着き場を除いてはほとんど断崖、考えてみると不思議な島です。

調べてみるとその成り立ちが分りました!(科学的じゃないけど・・・)
多多美比古命(伊吹山の神)が、浅井姫命(浅井岳=現在の金糞岳の神)と高さを
競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に
落ちて竹生島になったという。
金糞岳(標高1317m)は滋賀県2位の高峰で、今、最高峰の伊吹山(標高1377m)は、
竹生島の高さを差し引くと本来は2番目だったというわけです。
納得していただけたでしょうか・・・(^_^ゞ


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25分の航海(ん、海じゃないから航湖?)を終えて、途中、鯨に船底を破られる
事も無く、無事上陸♪ 神社仏閣が険しい斜面にチラチラ見えます。

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この島はお寺参り以外はこれといった観光もできないのに、三ヶ所の港から
1日4便、定期便が往復しているので結構賑わっています。
船着き場から参道に至るまでには、ちょびっと土産店などのお店も並んでいます。

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団体ツアー客も多いようですね、関東の某クルマディーラーの旗も見ましたよ。


古来より神の住む島として信仰の対象となっていたこの島には、
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)と西国三十三観音霊場、三十番札所である
巌金山 宝厳寺(がんこんさん ほうごんじ)があります。その参道は・・・

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道ではなく、勾配も厳しい石段。167段あるとか・・・数えてませんが。
左のはバリアフリーの装置かと思いましたが、そうでは無さそうですね。荷物用?
途中までしかありませんでしたが、これを改良して椅子に座ったまま登れるように
すると良いかもね。

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都久夫須麻神社(竹生島神社)は、雄略天皇3年(420年)に浅井姫命を祀る
小祠が作られたのに始まると伝えられています。
そりゃ、この島は浅井姫命(あざいひめのみこと)の首やもんね・・・
一説には首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」
という名前になったとも・・・もうエエか?(笑)

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最初の鳥居の額には「竹生島神社」と書かれており、右に折れると神社の方へ。
真っ直ぐ参道の石段を登って行くと二の鳥居、これには「巌金山」の額が。

一気に上っていきたいところですが、先を見るとまだ・・・

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この石段脇にもちょこちょこスポットがあるので、見物しながら休みましょう。

「本坊」                「湖底深井」
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この「瑞祥水(ずいしょうすい)」、平成14年に掘られた霊泉だそうです。
昭和62年頃より川鵜(カワウ)の異常繁殖により、緑樹は枯れ、山崖は崩れ、
全島にわたって大きな被害を受けていました。
もともと島一帯は殺生を堅く禁じていますから、漁船や釣り人も近寄りません。
それをいい事に?日本でも有数の川鵜のコロニーになったようです。最近は木々に
縄を張って近づけなくしたり、駆除!が行われかなり減ったようですが・・・
山からの湧き水が涸れ果て、困っていたところ、ご住職の夢枕にご本尊様が
「ここに井戸を掘れ」とのお告げがあったそうで、工事は難航、1年間かけて
深さ230メートル(湖底下 約130メートル)より、清浄水が出たそうです。

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それにしてもこの何ともひょうきんな龍さんは・・・?
放っておいたら逃げていくのでしょうか、紐でぐるぐる縛られてましたよ。(^_^ゞ

「月定院」と「護摩堂」
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         「鐘楼」

石段を登り終えると少し広場になっており、「本堂(弁財天堂)」があります。

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本尊の大弁財天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁財天」の一つで、その中で
最も古い弁財天です。そのため、ここでは大弁財天と称しているようです。
(ご本尊は秘仏で60年に一回開帳、次回の開帳は2037年となります)

宝厳寺は、奈良時代(724)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より
「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ」
というお告げを受け、僧 行基をつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
行基は、弁才天像をご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、
千手観音像を安置しました。
弁財天はもともとインド古代信仰の水を司る神「サラスヴァティー神」です。
よくお寺では弁天池があり、そこに島をつくって弁天様を祀る弁天堂がありますが
此処の場合、弁天池にあたるのが琵琶湖だとしたらスケールが・・・
ちなみに東京 寛永寺の不忍池弁天堂は、琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池に
中之島を築き、建立されたものだそうです。

平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えていたのですが、
明治時代になり神仏分離令が発布された際、神社にせよと言われ廃寺の危機に。
どうも七福神の一員、弁財天は神社イメージが強かったようで・・・
寺側は、弁才天は仏教の仏であると主張して譲らず。一悶着の結果、宝厳寺と
都久夫須麻神社に分離することになり、仏教寺院としての存続は果たしましたが
本堂は神社に引き渡すことに。本堂のないままに仮安置の大弁才天でしたが、
昭和17年、現在の本堂が再建されました。

納経所、ここでも団体ツアーの添乗員が一人で大量の納経帳を出すものだから
並んだ家内も随分待たされたようです。
巡礼ツアーでは当たり前のようになっていますが、何だかなぁ・・・です!
「納経所」
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「不動明王」

それでは、いよいよ内部へ・・・

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ご本尊である行基が彫った大弁財天像は秘仏なので見られませんが、
竹生島最大の祭礼行事「蓮華会(れんげえ)」の頭役(とうやく)が奉納した
弁財天像が左右に安置されていました。

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なお、北近江を支配していた戦国大名、浅井(あざい)氏が頭役を努めた際、
奉納した弁財天像も後陣に置かれているようです。


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本堂(弁才天堂)の中は「幸せの願いダルマ」で埋めつくされていました。

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このダルマは、心にある悩みや苦しみを弁天様に打ち明け、安らぎと幸せを願う
ダルマとして奉製されており、備え付けの用紙に住所、氏名、願い事を一つ書き、
ダルマの底にある穴にその用紙を詰めて、代金と引き替えにダルマの底にシールを
貼ってもらい蓋をし、納めるのだそうですが・・・


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「本堂(弁才天堂)」
1942年に平安時代様式で新築されたもので、寺内最大の建物。

「五重石塔」(重文)
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         「手水舎」
重文の五重石塔は、鎌倉時代のもので高さ2.5mほど。石材は滋賀郡の山中から
採れる小松石だそうです。
五層の仏塔は、地・水・火・風・空の五大をかたどったものといわれています。

手水捨の横の石段を上ると(またぁ!)三重塔、宝物殿があります。
そこが一番高いところかな、その後、下って「都久夫須麻神社」へと向かいますが
・・・それはまた次回。(^_^ゞ


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2013.6/9、竹生島 宝厳寺にて。


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○宗派:真言宗豊山派 ○開基:行基
○御本尊:千手千眼観世音菩薩(観音堂) ○創建:神亀元(724)年

御詠歌「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして」
カッパのロードスター


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西国三十三所巡礼 第二十九番札所 青葉山 松尾寺 [西国三十三所巡礼]

富士なくば 富士とやいわん 若狭なる 青葉の山の 雪のあけぼの

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『青葉山 松尾寺(まつのおでら)』は、京都府舞鶴市と福井県大飯郡との境にある
若狭富士と呼ばれる標高699mの青葉山の中腹にあり、かつては七堂伽藍も整い
末寺は65、寺領は四千石にのぼっていたとか。今は小さな山寺ですが・・・

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「仁王門」
かなり傷みが激しいです。金剛力士像もお留守のようで、写真だけ。
実は修復が終わり門を入って右手の宝物殿に安置されていたようです。
いずれは戻されるのかな?

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ここも千社札だらけ、どうやって天井にまで貼るのでしょうか?
脚立か梯子を持参で?貼っている現場を目撃したことは無いのですが・・・

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「?」
これは何だったのだろ?扉には菊の御紋がありました。
このお寺、入山料も拝観料も不要ですがその分、確かパンフも無かったような。

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本堂につづく石段。

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登りつめたところに・・・

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確かに枝が落ちてきたら大事になりそう。上を見ながら・・・だと
石段踏み外しそうだし、どうすりゃ良いものやら。(/・。\)

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「一切経堂」


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「本堂」
屋根がかなり特徴的で、方形の宝形造り(ほうぎょうづくり)というものですが
二重になっており、唐破風(からはふ)が前面に出ている。
滑らかな曲線を描き、青銅色といい美しい屋根だと思います。
手前の、何て言うんだろ香炉舎とでも言うのかな?線香を立てる炉を被う屋根も
宝形造りでバランスがとれて、そのまた手前の青銅の六角燈篭も合っています。
それぞれの屋根の頂点は擬宝珠(ぎぼし)になっており、雅な感じもしますね。

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唐破風にはここも凝った木彫が施されていました。資料が欲しいなぁ!

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破風のみならず、堂の周りにも木彫が数多く見られたのですが、保存状態は
良いとは言えず勿体ない気がします。

お寺の方でしょうか、私らより年配の男性が出て来られ
「どうぞ上ってお参りください」と招き入れ、説明まで始めてくれました。
本堂内の写真も構わないと言うことで、あまり無いことに喜んで撮ったのですが
ピンボケばかりでした・・・(+_+)

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この書は「今年の漢字」で有名な清水寺貫主 森清範が此処へ来られた時に
書いていかれたものだとか、写真に撮ると「そんなもんまで撮りますか…」とな。

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拝み方まで教えてもらいました。紐はご本尊と繋がっているのだとか。
ここのご本尊は西国三十三所の寺の中で唯一「馬頭観音」を本尊としています。
秘仏で、何と77年に一度しか開帳しないのだとか・・・
確か2009年に開帳しているので、次は73年後?無理です!紐で我慢します。(^_^ゞ


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「渡り廊下」本堂側から心霊閣を見る。
本堂と心霊閣を繋ぐ「渡り廊下」、特徴的で味わいもあるのですが
老朽化のためか通行できないようです。


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ご本尊 馬頭観音に因んでお馬さんの銅像がありますが、これも・・・(゚ε゜;)

※馬頭観音(ばとうかんのん/めづかんのん):観音菩薩の変化身のひとつ。
観音様といえば普通、優しいお顔をされているがこの観音は珍しく忿怒の姿です。
衆生の無智・煩悩を排除し諸悪を馬の如く喰らい尽くしてしまうのだそうです。
このお寺では「農耕の守り仏として、或いは牛馬畜産、車馬交通 、更には
競馬に因む信仰を広くあつめている」とあります。


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「地蔵堂」?

「鐘楼」
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「??」

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「心霊閣」

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「渡り廊下」心霊閣側から本堂を見る。


ここでちょっと気になる施設を。
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「烏瑟娑摩明王殿(うすしまみょうおうでん)」
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)とも表記される、この世の一切の汚れを
焼き尽くす炎の神様。
「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、功徳としては便所の清めって
ことで、要するにトイレの神様?


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「手水鉢」大きな自然石をくり貫いたものです。

知る人ぞ知る?隠された名水の湧き場所がありました。
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家内がペットボトルの水を入れ替えるのに、たまたま記帳所で水道の水が飲めるか
聞いたところ、此処を教えてもらったものです。


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「弘法大師像」

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「役行者像」なんだか酷い形相に・・・

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「鐘楼」と「鳥羽天皇お手植えの銀杏(イチョウ)」

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「竹生島道」と書かれた石標と地蔵像。次の札所が竹生島だからかな?

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「鳥羽天皇お手植えの銀杏」を裏から。

ここの高札には「銀杏はジュラ紀に栄えた植物であるが、ヨーロッパや
アメリカでは3世紀末に絶滅。日本と中国だけには残った」とありました。
日本では街路樹やお寺・城でよく見かける馴染み深い樹ですが、植物学的にも
特異で、生きた化石的扱い?日本へは仏教と共に中国から来たものと思われるが
現在のヨーロッパのイチョウは長崎からケンペルにより持ち込まれたもので、
欧州、北米の各地に広まったとされているから、日本の銀杏の子孫なんですね♪


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「鎮守社」?「青葉山権現社」とでも言うのかな?
境内の右隣に鳥居と社がありました。かなり傷んでますが両部鳥居の形態をした
鳥居です。神仏習合、密教などとの関わりが伺われます。

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このお寺、思っていた以上に興味深く楽しめるところでしたが、何しろ傷みが・・・
寺宝には国宝や重文もあるのだが、建物の保存状態はちと残念です。
私には珍しくお線香を立てたり、お賽銭もいつもの10倍(穴の開いた硬貨ですが)
納めたりして、協力しておきましたよ。(^_^ゞ

また巨樹も多く、自然もたっぷり。いいお寺なんですがね・・・

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ってことで、ペンションでいただいたお昼のお弁当、ここで食べました♪


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○宗派:真言宗醍醐派 ○開基:威光上人
○御本尊:馬頭観世音菩薩 ○創建:和銅元(708)年

御詠歌「そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに まつのおでら」


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2013.5/26、松尾寺にて。
カッパのロードスター

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天橋立パノラマびゅ~♪ [西国三十三所巡礼]

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日本三景のひとつ「天橋立」、そのビューポイントは数あれど
この成相寺(なりあいじ)の上には「日本一の成相山パノラマ展望所」と
「弁天山展望台」と言う2つのビューポイントがあります。
この日はお天気も良く、絶好のビュー日和♪

で、まずはお寺の駐車場から「パノラマ展望所」へ、車で移動です。

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道は狭いものの離合も可、しっかり舗装した新しい道がくねくねと展望所まで
続いています。
ただ~し!途中、減速用にと凸突起が何ヶ所も・・・・
オフロードバイクやジープなら何てことない凸ですが、
ロードバイクは気をつけないと命取り? 車高の低い我が愛車も。(;´д`;)
這うように、よっこらしょ、よっこらしょと越えて行きます。

辿り着いたら、駐車場即、パノラマビュー♪

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もう1歩前へッ! あまり悦び過ぎて前に突っ込むと奈落の底へダイブ?
ここは控え目に・・・それでも愛車と天橋立のツーショットはきっちり撮れます♪

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「天橋立」外洋に面さない湾内の砂州としては我が国唯一のものであり、
日本を代表する砂州。海を区切る細い砂州にもかかわらず、地下には真水が流れ
それ故、砂州の上は約8,000本の見事な松林を形成している。

海を隔てる全長3.6km、幅20~170mの長大な砂州に奇跡的にも松が茂るから、
その奇観は日本三景※のひとつとされています。
※江戸時代の初め、全国を行脚した儒学者、林春斎が『日本国事跡考』で「丹後の天橋立(あまのはしだて)、陸奥(むつ)の松島、安芸(あき)の宮島を日本三処奇観」と定めたのが日本三景の始まり。


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「記念写真を撮るならこの岩の上からが最高」みたいな看板があり、岩には
ご丁寧に足型も・・・で、そこから撮った写真です。↑

景色を撮るならもっと前の方が良いようで・・・股覗きの足型もあったようですし。

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「神の代に 神の通いし 道なれや 雲井に続く 天橋立」

その奇観ゆえ、古代より様々な言い伝えが残っています。
古風土記によると、伊射奈芸命(イザナギノミコト)が、天上から通うために
梯子をかけました。そしてこの梯子を天浮橋と名づけ、天上と地上を往来して
いましたが、ある時、地上におりたイザナギノミコトがうっかり寝てしまった
うちに、天浮橋は地上に倒れてしまい天橋立となり、天上の神々と地上の人間を
結ぶ梯子はなくなってしまったのです。
しかしその後、神と人の絆はかえって強くなり、神仏を求めて白砂青松の
不思議の道を訪ねる人があとを絶たなくなりました。・・・とさ。(^_^ゞ


楽しみにしていた「土器盃(かわらけ)投げ」
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ここには、的も設置されています。

円の中に投げた盃が通れば願いが叶うという、開運のかわらけ投げ(3枚100円)
残念ながら売り切れなのか、1枚もありませんでした。


標高500mからの眺望には満足しましたが、愛車と天橋立ツーショット、他にも
撮れないかと考え、家内に少し下まで降りてもらいました。

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そこ、そこ!途中で停められる場所があるので、そこで停めてもらい・・・

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o[◎]_- )パチリ ・・・う~ん、一応ツーショット♪


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さて、「日本一の成相山パノラマ展望所」を降りて、お寺の第二駐車場にクルマを
停めなおし、五重の塔・底なしの池の横から登って行ける「弁天山展望台」に
向かいます。こちらへは徒歩で・・・

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「パノラマ展望所」へは車で5分、こちらは徒歩5分・・・結構厳しい山道を。
こちらの方が標高が低いせいか「日本一の」とは言わず、控え目に?それでも
「傘松公園以上の展望台です」という刺激的なフレーズが!

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標高が傘松公園より高いってことなんだろうな・・・何て考えているうちに
展望台に到着! すぐと言えばすぐなんですが、勾配きついし足元も荒れている。
だから、ほとんど人の姿も見ません。ガラガラ、独占状態♪
なのに90歳近いような爺様が杖を手に登ってこられた、どうやらお孫さんに
連れられて? 孝行なのか、どうなのか・・・へたって居られたけど。(^_^ゞ

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ここもまた良いビュースポットです。しっかりした展望台もあります。

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看板通り、白山連峰まで見えていました。


ここでも「かわらけ投げ」をやっていたようですが・・・壊されています。
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登る途中にあったベンチ、ここから何を見よと言うのでしょうか・・・


[天橋立ビューポイント・ガイド]
宮津湾内にあり周囲を山に囲まれているので、南・北・西から俯瞰できます。

代表的なのが南(内陸側)、天橋立ビューランド(文珠山)から観る『飛龍観』。
龍が降臨してくる姿に見えます。股覗きをすれば天に昇る姿に?
龍に見えると言う点では、ベストポイントだと思います。

西(湾奥・阿蘇海側)からは、『横一文字』が、一字観展望台(大内峠)より
観られます。一帯は一字観(いちじかん)公園として整備されており、
股覗き発祥の地らしいですが、股覗きをしても横一文字のはずだけど・・・

北(丹後半島側)は、傘松公園が有名で『昇龍観』のビューポイント。
こちらは龍神に関する伝説が多く残っているのですが、眺め的には斜め一文字?
ほとんど松林しか見えないし・・・
今回行った「日本一の成相山パノラマ展望所」と「弁天山展望台」は
傘松公園のさらに上から望むので、天橋立の奥に能登半島、快晴なら能登半島の
上に北アルプス・立山連峰や加賀の白山まで見渡すことができる。
絶景という点ではナンバーワンかもね。

俯瞰と言う事では番外的なのですが、東(栗田半島・獅子崎)からは『雪舟観』が
観られます。これは国宝でもある、雪舟が描いた「天橋立図」と同じ方向から
観られるビューポイント。
獅子崎稲荷神社を登ってくと天橋立雪舟観展望休憩所が設けられています。
雪舟は俯瞰的に描いていますが、ここからの眺めは絵とは随分違うようです。


[おまけ]成相寺の入山料を払うと、案内パンフと同時に無料珈琲券なるものを
もらえます。これは途中の土産物屋さんとのタイアップサービスのようですが・・・
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とりあえず寄って、珈琲をよばれて手ぶらで出てきました・・・(^_^ゞ


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2013.5/26、弁天山展望台途中から見た成相寺五重の塔。背景には日本海が見えます。
カッパのロードスター


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西国三十三所巡礼 第二十八番札所 成相山 成相寺 [西国三十三所巡礼]

久しぶりの西国三十三所巡礼、冬を越してやっと再開です。

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京都府宮津市、日本三景のひとつ 天橋立を眼下に見下ろせる
『成相山 成相寺(なりあいさん なりあいじ)』

今年初めての西国三十三所観音霊場巡り、日本海側の山寺と言うことで冬場は敬遠。
暖かくなるのを待っていました。ちょっと待ち過ぎて真夏日でしたけど・・・

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待っていてヨカッタかも、凍結が恐ろしいような道を走ってやっと辿り着けます。
境内に続く道にゲートが設けられており、そこで入山料500円を払うと直ぐに駐車場。
下調べで、クルマで行った場合は山門が見られない。見る場合は、少し下山する
必要があるとのことでしたので、そのつもりだったのにすっかりその事を忘れて
しまって・・・よって山門の写真はありません。(-。-;)

またこのお寺、見どころ・逸話、伝説がいろいろある所です。

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「五重の塔」と「底なしの池」

ゲートの側にあります。五重の塔は1998年に完成したまだ新しい塔ですが、
鎌倉時代の様式を再現したもので美しい塔でした。
底なしの池…昔この池には大蛇が住んでおり、寺の小僧を呑み込んでいたため、
和尚は火薬を仕込んだわら人形を飲ませて退治したという伝説が残っている。

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本堂への階段の途中に立派な鐘楼があります。「撞(つ)かずの鐘(かね)」って
呼ばれているようですが、その由来は・・・
お寺の新しい鐘を鋳造するために近郷近在に浄財の寄進を何度も募ったところ、
裕福そうな女房が「子供は沢山居るが、お寺に寄付するお金はない」と断った。
やがて鐘鋳造の日、大勢の見物人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。
そして銅湯となったルツボの中に、誤って乳呑児を落としてしまった。
完成した鐘を撞くとその音は赤子の泣き声、母を呼ぶ悲しい声に聞こえたという。
聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、以後、一切この鐘を
撞くのを止め「撞かずの鐘」になったと伝えられる。

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撞き棒はあるのですが、何やら文字がいっぱい書かれていました。

この鐘楼の向いには約620年前に造られたという大変古いお地藏さん
「一願一言地蔵」があります。
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その奥には「観音堂」。
ここには西国三十三ヶ所の本尊全てが祀られています。

「一願一言地蔵」は、ただ一つの願いを一言でお願いすれば、どんなことでも
必ず叶えて下さるとか。また安楽ポックリの往生も叶うと伝えられています。
・・・人生唯一の願いがポックリ往生だったら悲しい気がしますが (・_・、)

石段を登りきると「本堂」に。
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もともと、本堂は現在より山の上に建てられていたようですが、山崩れのため
現在地へ移転したとのこと。現本堂は安永3年(1774)の建築だそうです。

五間四方の入母屋造、正面を千鳥破風、軒唐破風で、それを飾る木彫はかなり
手の込んだ複雑なもので、鐘楼も同じような装飾が施されていました。
ただ、ここも千社札がいっぱい貼られている。折角の建築美も台無しです!

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はい、ここで寺名の由来を・・・ 一人の僧が雪深い草庵に篭って修業中、
食糧も絶え餓死寸前となりました。死を予感した憎が救いを本尊に祈ったところ、
堂の外に傷ついた鹿が倒れていた。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが
命には変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。やがて
雪も消え、堂内を見ると本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていたとさ。
僧は観昔様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると
元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と
名付けられたとな。

堂内の厨子に安置された御本尊の木造聖観世音菩薩は、平安期のもので、秘仏。
33年に一度の御開帳。身代わり観音または美人観音とも呼ばれています。

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内陣は撮影禁止だったのですが、貼り紙に気付かずに・・・ま、この程度なら
許されるでしょう。

この内陣での見どころは、「左甚五郎作 真向きの龍」※これは撮影可でした。

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龍と目を合わせながら横に移動しても、ずっと視線は合ったまま・・・というものです。
どうでしょうね、その真意のほどは実際にお確かめください。(^_^ゞ

なお、本堂内陣へ上がるのに車椅子用のリフトが備えられていました。
バリアフリーが完璧とは言い難いですが、こういう姿勢は良いことですね。
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本堂の右側には「十王堂」があり、そこに撫で仏「賓頭盧尊者」様が。
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病んでいる部位をなでると除病の功徳があるといわれているのですが・・・
上半身しか出ていない、膝の悪い人はどうすれば?こんな賓頭盧さんは初めてかも。

お堂の中には「孔雀明王」と
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「閻魔大王」が祀られています。


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本堂の奥には「熊野権現社」成相寺鎮守堂ですが、ここでは最古の建築物のようで
トタン屋根の小屋ですっぽり被われています。
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本堂前の手水鉢は、国の重要文化財「鉄湯舟」です。
今は名水が出る手水鉢として利用されているのですが、かつてはここにお湯を張り、
かかり湯をしたと考えられています。後に薬湯で怪我や病気の人を治療したとも。

本堂左側には石仏群が・・・
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「身代わり地蔵」とありますが、その由緒は??


本堂を後にし、スロープの緩やかな左手より降りて行くと第二駐車場に戻ります。
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例の底なしの池には「弁天堂」が建てられ、弁財天が祀られています。


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「五重の塔」


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「底なしの池」


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○宗派:橋立真言宗 ○開基:真応上人
○御本尊:聖観世音菩薩 ○創建:慶雲元(704)年

御詠歌「波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天の橋立」


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2013.5/26、成相寺にて。

カッパのロードスター


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西国三十三所巡礼 第二十六番札所 法華山 一乗寺 [西国三十三所巡礼]

随分、間が空きました。去年の12月16日に行っていたのですが・・・(^_^ゞ

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「法華山 一乗寺(ほっけさん いちじょうじ)」は、兵庫県加西市にあり、
加古川と姫路市に連なる山中に建つ古刹です。国宝や重文も数多くあるお寺です。

開基は数々の伝説を残すインドの法道仙人。第二十五番札所の「播州清水寺」や
その後に行った番外「花山院菩提寺」も法道仙人が開山されたことになっています。
法道仙人は飛鳥時代、天竺(インド)から紫雲に乗って中国、百済(朝鮮)を経て
日本へ飛来、播州の山岳地を中心に60以上のお寺の開基とされています。
仙人は飛行自在の能力と限りない寿命を得ていたといわれ、自ら動かず仙術を
駆使して鉢を飛ばし、お布施を受けていたため「空鉢仙人」と呼ばれていました。
そうした法力の逸話が、時の帝である孝徳天皇の知るところとなり、都に呼ばれ
長年患っていた天皇の病を平癒したところ、その功績により法華山に一大伽藍を
建立することとなり、一乗寺ができたということです。

駐車場は少し離れたところにあり、直ぐ側には・・・
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水子供養壇がいくつかあり、夥しい数のお地藏さんが置かれています。

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「お水かけ地蔵菩薩」像と「粟嶋堂」

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粟嶋堂を後ろから。横には絵馬が奉納されています。
この堂宇、「一乗寺 隣聖院 粟嶋堂」となっており、一乗寺の塔頭である隣聖院に
属するもので、ここに移築されたもののようです。
隣聖院は道を隔てて一乗寺の向かいにあります。

駐車場からバス停の方へ歩いて行くと、一乗寺の入口が見つかります。
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入山料を払って少し進むと現れるのが・・・
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やはりここも石段。172段(私が数えたわけじゃないけれど)しかもかなり急勾配。
本堂に辿り着くまで三段階に別れていますが、階段に次ぐ階段の連続・・・

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最初の階段を登り終えると先にも石段が。三重塔が建っていて、その先の階段を
登るとやっと本堂があるはずです。

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振り返って見ると、やはり急勾配。(^_^ゞおおコワイ。


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ちょっとひと休み。最初の石段を登りきったところには二層になった立派な
常行堂が建っています。常行三昧の行を修するために建てられた仏堂です。
同じ天台宗の比叡山延暦寺にもありますね。

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「常行堂」               「経堂」

二つ目の石段を登ると古い三重塔が建っています。向かい合って経堂も。
この経堂の横からも奥の院に通じる階段がありました。

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「三重塔」〔国宝〕

我が国でも十指に入る古塔です。建立は平安後期の1171年、建立年代の明らかな
塔としては全国で8番目に古いものだとか。

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やっと金堂(本堂)が見えてきました。もうひと息、階段を登らないと行けませんが。

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「大悲閣」金堂(本堂)です。〔重文〕

石段を登りきっても舞台造りの足元に着くだけ、参拝するには向こう側に
回り込まないと上れません。

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「鐘楼」
本堂脇に建っています。1628年の建築で、袴腰が付いた美しいものでした。
本堂の回り縁から吊られている梵鐘もしっかりと見えます。

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本堂東側の縁です。先ほど見上げていた南面へ回ります。

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舞台から外陣。              「賓頭盧尊者」

ご本尊は、白鳳時代作の聖観世音菩薩像(重文)で、秘仏となっています。
外陣から外を眺めると目前に三重塔が見えます♪

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ちょっと珍しい風景なので、イイ記念写真ポイントかも・・・♪
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さて、本堂の奥にも重文建造物が並んでいるようなので行ってみます。

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「手水舎」               「護法堂」〔重文〕
護法堂は 一間社春日造で、小高い石垣の上にあります。
ちなみにここの前まで行くには石垣のような石段を登って行きますが、
足腰弱いと、とても危険な気がしました。

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手前「弁天堂」、奥「妙見堂」ともに〔重文〕    「行者堂」
弁天堂は一間社春日造、妙見堂は三間社流造で、護法堂と合わせて
鎮守三社となっています。どれも小さな社ですが鎌倉時代の様式をとった
室町時代の建築で貴重なものだとか。

※一間社とは前の柱の間隔が一間(約180cm)で、三間社は柱が四本、間隔が一間
なので合計幅が三間です。流れ造りは棟に平行な平側から屋根をのばして庇と
しているのに対して、春日造りは妻側から庇を付設した形をとります。

このお寺、心霊スポットとしても有名なようで・・・
それにはここに「賽の河原」があるからでしょうが、残念ながら奥の院ともども
土砂災害のため立入り禁止になっていました。
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ちなみに奥の院には開基の法堂仙人が祀られている「開山堂」があり、その横から
山の中に入って行くと賽の河原があるようです。そこには、いたるところに
童子供養の無数の小石が積み上げられ、また同じく供養の風車やおもちゃが
供えられれている。そんな光景は子や水子をなくした親の悲しみが、この寂しい
世界の中に凝縮されているようだ・・・とのこと。

本来なら奥の院、賽の河原をお参りして戻ってきたところに放生池が見えるはず。
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放生池の中には、弁天様を祀った祠があるのですが、豪雨災害の影響かかなり
荒れ果てていました。

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この鳥居の向こうには白妙稲荷大明神と見子大明神を祀る見子堂があるのですが
無残な状態でした・・・

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ここら(裏参道?)を通り抜けて駐車場へと戻ります。

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「太子堂」
境内、敷地内のいたるところに石造りの祠に入った石仏を見ました。
どういうものなのかは、よく分りませんが・・・

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駐車場に戻る前にバス停前の休憩所に寄りました。お番茶がいただけます♪
お土産も売っていたので・・・
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こんなんゲット!!ヽ(^。^)ノ


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2012.12/16、法華山 一乗寺にて。


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○宗派:天台宗 ○開基:法道仙人
○御本尊:聖観世音菩薩 ○創建:白雉元(650)年

御詠歌「春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山」

カッパのロードスター


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