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応仁の乱を生き延びた千本釈迦堂。

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西陣にある真言宗智山派の名刹、瑞応山 大報恩寺(だいほうおんじ)。
『千本釈迦堂』と呼ばれています。承久3年(1221年)創建。

京都ではもうひとつ「嵯峨釈迦堂」があり、そちらは浄土宗
五台山 清凉寺(ごだいさん せいりょうじ)。寛和3年(987年)創建。
嵯峨釈迦堂の方が古いのですが、知名度は千本釈迦堂の方かな・・・
タクシーに「釈迦堂へ」と告げると千本釈迦堂へ向かうようだし。(^_^ゞ

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ぶらぶら歩いて西門から入りました。
大きな樹が目を引きます。樹齢どのくらいだろ・・・
西門を入ればすぐに寺務所があり、拝観料600円で本殿・霊宝殿に
入れます。クルマで来ても境内に無料で駐車できるようです。

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霊宝殿には、快慶作「十大弟子像:重文」、定慶作「六観音像:重文」
などが間近に観られて、仏像ファンならずとも感動ものです。


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五辻通(いつつじどおり)からだと参道、山門を通って本堂正面に。

本堂までの左手に稲荷社、北野経王堂 願成就寺が並んでいます。
〈北野経王堂〉
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     〈稲荷社〉

北野経王堂 願成就寺、現在は大きくもないお堂なんですが、
足利義満が明徳の乱で倒れた敵(山内氏清)味方の冥福を祈るため、
北野天満宮の門前に建立したもので、建立当時は東山三十三間堂の
二倍半もあるという大きなお堂だったといいます。
江戸時代、荒廃したお堂を縮小しここに移転されました。その際に
貴重な仏像や経典、義満の宝物なども移され、現在は霊宝殿に保存
されています。

稲荷社は茶吉尼天尊、天上多田稲荷大明神を祀る。
前に置かれている石には「千度石」と彫られていました。
お百度では済まないんですねぃ・・・


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〈千体地蔵塔〉
本堂の右手、境内の一番奥にあります。近くには行けませんでした。
おそらく明治の廃仏毀釈で廃棄されたお地蔵さんを集めたものかな?
組体操、人間ピラミッド・・・いや、地蔵ピラミッド状態ですね。

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〈布袋尊像〉
本堂右にあり、立派な石像で目を引きますが、なぜ七福神が?
弥勒菩薩の化身とされているのでよいのかな・・・

それよりこちら♪ このお寺を有名にしているのは「おかめさん」。

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〈阿亀多福像〉
本堂造営の際の棟梁・長井飛騨守高次とその妻・阿亀(おかめ)の
悲しくも切ないエピソードが美談として伝えられています。
この横には高次が阿亀の菩提を弔うために建てた宝篋印塔があり、
このお寺は、おかめ伝説発祥の地なんです。

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〈阿亀桜〉
本堂前の右手に樹齢90年ほどといわれるしだれ桜の大木が!
御室仁和寺(おむろにんなじ)の御室桜は背が低く花が低いところから
おたふく桜と呼ばれていますが、ここのおかめ桜は花が高く立派?
「わたしゃお多福 御室の桜、はなは低とも ひとは好く」

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黄桜、御衣黄桜も咲くようですね、お花見が楽しみ♪ すぐ近くには
境内全域に約60種類400本の桜銘木が咲く平野神社がありますしね。


さて、本堂へと・・・

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全景の写真を撮るのを忘れていましたw(^_^ゞ
承久3年(1221年)に義空上人により創建、本堂は800年ほど前に建て
られたそのままで、京洛の中でも最古の木造建築物。国宝に指定
されています。※もちろん、解体・復元の大修理はされています。
京都のお寺はそのほとんどが応仁の乱で焼失してしまい、その後も
幾度も大火に見舞われていますから意外と古い建造物は無いです。

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ここももちろん、明徳・応永の乱(1391年・1399年)に始まり
応仁・文明の乱(1467-1477年)の戦乱の渦中にあり焼失を逃れたのは
奇跡的かも。そもそもこの界隈を西陣と呼ぶのは、応仁の乱の際、
西軍の陣が置かれたことが由来ですから、まさに戦禍の真っ只中だし。
西軍の大将・山名宗全の特別な計らいもあったとか・・・
とは言え、この本堂の柱には当時のおびただしい刀、槍の傷跡が
残っています。

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それにしても、室町幕府・足利氏、大内氏、山名氏、細川氏・・・
南北朝の動乱・・・この室町時代の争乱は脳がぐちゃぐちゃに?
大河ドラマ・花の乱を観なかったのが悔やまれる・・・(^_^ゞ

日本史上最大の内乱といわれる応仁の乱。京都は焼け野原となった
ことから、京都で「戦後」と言えば応仁の乱の後のことだか。
もう一つ言えば、京都人が腹黒なのはこの応仁の乱が原因だとも。
なにせこの戦乱、日本全国を二分しただけじゃなく親兄弟まで分裂
どちら側かが問われ、裏切り寝返りが当たり前。
腹の内、本音を言おうものならどうなることやら・・・
ちなみにこれがきっかけで日本は下克上、戦乱の世になります。


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この桔梗紋は、真言宗智山派の宗紋ですね。

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さて、本堂でもあちこちに「おかめ(=お多福)」さんのお姿が
見られます。
おかめさんに関する話題は次回に・・・(^_^ゞ


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2016.1/24、千本釈迦堂にて。
nice!(52)  コメント(17) 
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コメント 17

かずのこ

もうすぐ阿亀桜が見られますね^^
by かずのこ (2016-03-16 20:50) 

orange

しだれ桜が咲いた風景を想像してみました。
艶やかで、なんとも優美な風景になるのでしょうね。
観光客の姿をいれずに撮りたければ...早朝しかなさそうですね。
続きを楽しみにしています^^
by orange (2016-03-16 22:37) 

路渡カッパ

★かずのこさん、ありがとうございます。
私も写真でしか見たことが無いので、
一度見に行きたいのですがね、まだ平野神社も行ったことが無いし・・・(^_^ゞ

★orangeさん、ありがとうございます。
結構見事でしょうね、見てみたいものです♪
桜の時季は仕事が忙しく、いつも見頃を逃してしまいます。
今年はどうかな・・・早起きはできないでしょうが。(^_^ゞ

by 路渡カッパ (2016-03-16 23:12) 

たいちさん

千本釈迦堂には行ったことありません。境内駐車無料ということですので、桜の季節に行きたいですね。
by たいちさん (2016-03-16 23:20) 

路渡カッパ

私が行った時は駐車場ガラガラでしたが、
桜の季節はどうかな?
ここへ停めて平野神社ってなズルも考えられるし・・・f(^_^)
by 路渡カッパ (2016-03-17 00:07) 

京男

おはようございます。
阿亀桜の骨組みがちょっと痛々しいですね。
応仁の乱・・・いまでいうとシリアかな。
by 京男 (2016-03-17 07:05) 

シルフ

ここは昔から大好きでちょくちょく訪れています。宝物館の仏像も見事だし。桜の時期は最高ですね。
by シルフ (2016-03-17 08:19) 

馬爺

御衣黄桜の薄緑色の花が咲くと不思議な感じがしますね、その時期くらいに吉野も咲きますね。
by 馬爺 (2016-03-17 10:38) 

ヒロシ

寺院や神社の解説、境内の様子、観光客には嬉しい情報です(*^^)v
花見のシーズンは何処で鑑賞するか悩む京都です
by ヒロシ (2016-03-17 11:49) 

koh925

千本地蔵堂のお亀ザクラは早咲きですね
殆ど散ってしまった状態を見ました(^^
by koh925 (2016-03-17 17:27) 

路渡カッパ

★京男さん、こんばんは。
建築現場の足場のようですね、見方によっては現代アートにも♪
応仁の乱、複雑ですね。勉強不足でよく分かってないですが
シリアの方がもっと複雑かも・・・

★シルフさん、ありがとうございます。
>ここは昔から大好きで・・・
おかめファン?(^_^ゞ
仏像、見事なものでした。ここで観てにわか仏像ファンに!
後日三十三間堂も行きましたよ。(*^^)v

★馬爺さん、ありがとうございます。
御衣黄桜は遅咲きなんで、ここの境内は長く桜が楽しめそうです♪

★ヒロシさん、ありがとうございます。
京都の桜観光シーズン、今度の連休あたりから始まるでしょうね。
また桜渋滞が悩ましくなります。(^_^ゞ

★koh925さん、ありがとうございます。
早咲きでしたかね、桜は見頃を捉えるのが難しいです。
一斉に咲くようで、樹によって違うような・・・

by 路渡カッパ (2016-03-17 23:34) 

すー

おはようございます
毎回毎回、素晴らしい観光案内パンフレットようで素晴らしいです。
最近の京都の桜の木、弱っているのが目立ちます。環境も影響しているのかな?
by すー (2016-03-18 04:34) 

路渡カッパ

★すーさん、おはようございます。
中高校の時と違い、日本史などテストがある訳じゃなく、気楽に勉強できて楽しいです♪
年表も暗記しなくていいしね。(^_^ゞ
市内の桜、確かに弱ってますね。郊外の並木などイキイキとして見事なんですが・・・
by 路渡カッパ (2016-03-18 10:15) 

風来鶏

私も応仁の乱の辺りはよく分かっていないのですが、秀吉が天下統一を成し遂げた後に「御土居」を築いたのは、応仁の乱で荒れ果てた都を建て直すと言うか、"国"という定義を確立するためだったのではなかったでしょうか⁈
"国"という漢字は「玉(この場合、帝を意味するのかな?)」を囲っていますよね(^^;;
by 風来鶏 (2016-03-18 15:49) 

路渡カッパ

★風来鶏さん、ありがとうございます。
応仁の乱はほんと乱れに乱れて、よく分かりませんね。
国という漢字の成り立ちはまさにその通りでしょうね。
秀吉が京都に御土居を築いたのは、城下町化したかったのではないでしょうか?
by 路渡カッパ (2016-03-19 00:18) 

風の友

そういえば大文字山に登っていた頃、知り合った京都の方と
話をしていたのですが、どうも話がかみ合わないと思ったら・・・・
「先の戦争」と言うから第2次世界大戦のことかと思ったら
なんと応仁の乱の事でした。
もう、びっくりです!

by 風の友 (2016-04-03 17:21) 

路渡カッパ

★風の友さん、ありがとうございます。
京都人は先の戦争=応仁の乱、天皇は東京へ旅行中、遷都の詔は発布されていないので今も京都は都(日本の首都)のまま・・・なんて言いますね。
ちなみに私は京都人ではありません。
京都人=洛中に4代以上住み続けている人。なんだそうで、私は太秦生まれの山科育ち、生まれも育ちも京都市ですが、洛外なので・・・しかも両親は兵庫県出身ですし。(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2016-04-03 18:48) 

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