今津ヴォーリズ通り [うろうろ探訪]
竹生島から戻って、ヴォーリズ通りを訪ねてみました。
明治から昭和にかけて、日本に大きな足跡を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
明治38年にアメリカ合衆国より来日。滋賀県で英語教師として着任。後に京都で
建築設計事務所を開設し、自国では果たせなかった建築家の夢を実現し、
日本全国各地に、1600件以上の建築設計を手がけました。
滋賀県近江八幡を拠点に活動していたため、そちらには記念館があります。
彼の魅力は建築作品のみならず、波乱万丈の人生、行った業績や生き方は今もなお
語り継ぐに値しますね。
以前、近江八幡でヴォーリズの足跡を訪ねた時にもブログ記事を書きましたが
今津にも「ヴォーリズ通り」なるものがあることを知り、これは見逃せません。
今津港から浜通り商店街を・・・古い街並みで、商店街とはとても思えませんが。
旅館? まるで時代劇に出てくる旅籠(はたご)のようです。
これは倉庫?工場? 何となくヴォーリズの洋館を思わせるような建物ですね。
あちゃ!こちらのお家は、和風にするか洋館にするか迷われたのかな?
なんて、楽しみながら歩いていると、やって来ましたよ「ヴォーリズ通り」
まずは、この建物。大正12年(1923)に百三十三銀行今津支店として、
ヴォーリズ建築事務所の設計により建設されたもので、昭和53年(1978)まで
銀行として使われた後、今津町が買い取って改築をほどこし、平成13年までは
町立図書館として利用されていたそうです。
平成15年(2003)に建設当初の姿に修復され国の登録有形文化財となり、
現在、『今津ヴォーリズ資料館』として新たに活用されています。
ヴォーリズの生涯や日本各地のヴォーリズ設計建築物などが紹介されたパネルや
模型などの資料で、ヴォーリズについて知ることができるようになっています。
また展示室の中央にはカフェが設けられ、お茶や食事が楽しめるようになっている。
地元の女性グループの方が運営されているようで、地元産の野菜や黒米を使った
カレーなどが出されている。ちなみに「黒米カレー」は330円だった♪
通りを西に少し歩くと、一見してヴォーリズだと分る建物が現れます。
昭和8年(1933)に建てられた『今津基督教会館』。基督教=キリスト教ね。
幼稚園は昭和7年に創立されたようです。
今でも現役の園舎として利用されているので、中には入れません。
ヴォーリズは数多くの教会や学校、病院などを手がけています。
そもそも来日されたのは、プロテスタント伝道活動のためであり社会的な貢献も
されてきた。その活動資金を得るために設立したヴォーリズ合名会社(のちの
近江兄弟社)が扱ったメンソレータム(現メンターム)は、有名ですね。
ここの横は、公園として整備されていました。
「ヴォーリズ通り」と言っても保存されているのは3軒のみ。その中でもちょっと
悲しいのが、この『旧 今津郵便局』ですかね。
建物はヴォーリズ建築らしいシンプルで、日本の風景に溶け込む洋館建てです。
昭和11年(1936)に建てられ、昭和53年まで郵便局として使用された後、現在は
傷みも激しく、中は倉庫として使われているらしくて入れません。
もう廃虚寸前。他の2軒は国の登録有形文化財ですが、ここは違うようです。
歴史ある建物が廃墟と化して朽ちてしまう前に修復されることを願って止みません。
近江八幡の郵便局は地元のボランティアのご努力によって改修されていますが、
ここも何とかならないのでしょうかね。って他力本願の私ですが・・・w
ヴォーリズのエピソードをもう少し・・・
24歳(明治38年)から83歳(昭和39年)まで、明治・大正・昭和と人生の大半を
日本で過ごし、遺したものは建築家として全国に数々の「ヴォーリズ建築」・・・
のみならず、多くの賛美歌などの作詞、作曲。ハモンドオルガンを伝えたり、
家庭薬メンソレータムの普及。YMCA、病院、学校、図書館等をつくり、地域に
貢献し社会の必要に応えた。
1941年(昭和16年・60歳)日米が対立を深め多くの外国人が日本を離れる中、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、敢えて留まり日本への帰化を選択。
妻の姓を名乗り、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。
「米来留」とは米国より来たりて留まるって洒落らしい・・・
戦後はマッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力し「天皇を守ったアメリカ人」
とも称される。
藍綬褒章、黄綬褒章、正五位勲三等を授けられ、瑞宝章が贈られる名誉も
与えられています。
晩年は76歳でクモ膜下出血に倒れ、近江八幡の自宅で療養生活に入り83歳で永眠。
ちなみに彼が築き上げた「近江兄弟社」の社名の由来は、近江と「人類皆兄弟」の
精神から命名したもので、兄弟が設立した会社というわけではありません。
その近江兄弟社も彼の亡きあと、10年後に倒産し、メンソレータムの販売権も
返上。今は販売権を取得したロート製薬が製造販売しています。
大鵬薬品工業(現在は大塚HDの傘下)の資本参加で再興したが、その時にはもう
メンソレータムの商品名を使うことができず、メンソレータムの製造設備を使い
オリジナルの製品を「メンターム」の商品名で販売しています。この商品名は
従前よりメンソレータムの略称として商標登録してあったものだそうです。
この経緯を考えるとどちらが“本物”なのか?
ただ、昔ながらのリトルナースの絵が付いているメンソレはロート製薬で、
近江兄弟社の同じ色合いでも見慣れないアポロンマークは類似品っぽいです・・・(^_^ゞ
話しは全く変りますが、今津からの帰路、白髭神社の湖上鳥居をパイロン代わりに?
バチ当るぞぉ~!
2013.6/9、ヴォーリズ通り 今津基督教会館。「今」の字が左右逆になっているのは
古来中国の篆書体によるものだそうです。
明治から昭和にかけて、日本に大きな足跡を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
明治38年にアメリカ合衆国より来日。滋賀県で英語教師として着任。後に京都で
建築設計事務所を開設し、自国では果たせなかった建築家の夢を実現し、
日本全国各地に、1600件以上の建築設計を手がけました。
滋賀県近江八幡を拠点に活動していたため、そちらには記念館があります。
彼の魅力は建築作品のみならず、波乱万丈の人生、行った業績や生き方は今もなお
語り継ぐに値しますね。
以前、近江八幡でヴォーリズの足跡を訪ねた時にもブログ記事を書きましたが
今津にも「ヴォーリズ通り」なるものがあることを知り、これは見逃せません。
今津港から浜通り商店街を・・・古い街並みで、商店街とはとても思えませんが。
旅館? まるで時代劇に出てくる旅籠(はたご)のようです。
これは倉庫?工場? 何となくヴォーリズの洋館を思わせるような建物ですね。
あちゃ!こちらのお家は、和風にするか洋館にするか迷われたのかな?
なんて、楽しみながら歩いていると、やって来ましたよ「ヴォーリズ通り」
まずは、この建物。大正12年(1923)に百三十三銀行今津支店として、
ヴォーリズ建築事務所の設計により建設されたもので、昭和53年(1978)まで
銀行として使われた後、今津町が買い取って改築をほどこし、平成13年までは
町立図書館として利用されていたそうです。
平成15年(2003)に建設当初の姿に修復され国の登録有形文化財となり、
現在、『今津ヴォーリズ資料館』として新たに活用されています。
ヴォーリズの生涯や日本各地のヴォーリズ設計建築物などが紹介されたパネルや
模型などの資料で、ヴォーリズについて知ることができるようになっています。
また展示室の中央にはカフェが設けられ、お茶や食事が楽しめるようになっている。
地元の女性グループの方が運営されているようで、地元産の野菜や黒米を使った
カレーなどが出されている。ちなみに「黒米カレー」は330円だった♪
通りを西に少し歩くと、一見してヴォーリズだと分る建物が現れます。
昭和8年(1933)に建てられた『今津基督教会館』。基督教=キリスト教ね。
幼稚園は昭和7年に創立されたようです。
今でも現役の園舎として利用されているので、中には入れません。
ヴォーリズは数多くの教会や学校、病院などを手がけています。
そもそも来日されたのは、プロテスタント伝道活動のためであり社会的な貢献も
されてきた。その活動資金を得るために設立したヴォーリズ合名会社(のちの
近江兄弟社)が扱ったメンソレータム(現メンターム)は、有名ですね。
ここの横は、公園として整備されていました。
「ヴォーリズ通り」と言っても保存されているのは3軒のみ。その中でもちょっと
悲しいのが、この『旧 今津郵便局』ですかね。
建物はヴォーリズ建築らしいシンプルで、日本の風景に溶け込む洋館建てです。
昭和11年(1936)に建てられ、昭和53年まで郵便局として使用された後、現在は
傷みも激しく、中は倉庫として使われているらしくて入れません。
もう廃虚寸前。他の2軒は国の登録有形文化財ですが、ここは違うようです。
歴史ある建物が廃墟と化して朽ちてしまう前に修復されることを願って止みません。
近江八幡の郵便局は地元のボランティアのご努力によって改修されていますが、
ここも何とかならないのでしょうかね。って他力本願の私ですが・・・w
ヴォーリズのエピソードをもう少し・・・
24歳(明治38年)から83歳(昭和39年)まで、明治・大正・昭和と人生の大半を
日本で過ごし、遺したものは建築家として全国に数々の「ヴォーリズ建築」・・・
のみならず、多くの賛美歌などの作詞、作曲。ハモンドオルガンを伝えたり、
家庭薬メンソレータムの普及。YMCA、病院、学校、図書館等をつくり、地域に
貢献し社会の必要に応えた。
1941年(昭和16年・60歳)日米が対立を深め多くの外国人が日本を離れる中、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、敢えて留まり日本への帰化を選択。
妻の姓を名乗り、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。
「米来留」とは米国より来たりて留まるって洒落らしい・・・
戦後はマッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力し「天皇を守ったアメリカ人」
とも称される。
藍綬褒章、黄綬褒章、正五位勲三等を授けられ、瑞宝章が贈られる名誉も
与えられています。
晩年は76歳でクモ膜下出血に倒れ、近江八幡の自宅で療養生活に入り83歳で永眠。
ちなみに彼が築き上げた「近江兄弟社」の社名の由来は、近江と「人類皆兄弟」の
精神から命名したもので、兄弟が設立した会社というわけではありません。
その近江兄弟社も彼の亡きあと、10年後に倒産し、メンソレータムの販売権も
返上。今は販売権を取得したロート製薬が製造販売しています。
大鵬薬品工業(現在は大塚HDの傘下)の資本参加で再興したが、その時にはもう
メンソレータムの商品名を使うことができず、メンソレータムの製造設備を使い
オリジナルの製品を「メンターム」の商品名で販売しています。この商品名は
従前よりメンソレータムの略称として商標登録してあったものだそうです。
この経緯を考えるとどちらが“本物”なのか?
ただ、昔ながらのリトルナースの絵が付いているメンソレはロート製薬で、
近江兄弟社の同じ色合いでも見慣れないアポロンマークは類似品っぽいです・・・(^_^ゞ
話しは全く変りますが、今津からの帰路、白髭神社の湖上鳥居をパイロン代わりに?
バチ当るぞぉ~!
2013.6/9、ヴォーリズ通り 今津基督教会館。「今」の字が左右逆になっているのは
古来中国の篆書体によるものだそうです。
カッパのロードスター
家の側面が、洋風と和風、両方って・・、欲張りですね~^^
はじめて見ました、こんなふうなお宅!面白かったです
ヴォーリズさんって、天皇陛下を守った外国の方だったのですか
メンソレータム、ついつい看護婦さんの絵のついたの買いますが
本家はメンターム・・知りませんでした、勉強になります
by はなだ雲 (2013-07-07 00:16)
おはようございます
近江八幡の洋館、何度か訪問したことがありますが、いいですよね。
い~やああ、和様折衷というか、興味深い建物の数々ですね。
by すー (2013-07-07 05:03)
またまた勉強になりました(*^^)v
ルールを知らないマナー違反、「神さま」・・・、罰(バチ)を与えて下さい
by ヒロシ (2013-07-07 05:27)
おはようございます。
昔は、随分ハイカラの街だったのでしょうね。
長く保存していってもらいたいものです。
いい観光資源ですものね。
by 京男 (2013-07-07 09:13)
今津の「ヴォーリズ通り」は知りませんでした。機会あれば訪れたいですね。
by たいちさん (2013-07-07 10:31)
わぉ~。すごいですね。
元住民(故郷)の私も知らなかったことが沢山綴られています。
しかし、白髭神社の鳥居。。。
世間知らずといいましょうか、常識知らずといいましょうか。。。
自分たちが楽しければそれでいいというような。。。
by Kansai-gin (2013-07-07 13:15)
★nice、コメント。ありがとうございます。
ソネブロの動きが遅くて、重い中、恐縮です。
★はなだ雲さん、ありがとうございます。
洋風と和風、どちらも楽しみたいってことですかね。確かに欲張りかも(笑)
メンソレータム、どちらが本物かは微妙ですね。ロート製薬も商標と同時に製造施設も買い取っていますから、本家?近江兄弟社のメンタムは元祖かな?(^_^ゞ
★すーさん、こんにちは。
近江八幡にはヴォーリズさんの自宅もあり、多くの建物が残っていますね。
ここもそのつもりで行ったのですが、3軒だけでした。(^_^ゞ
★ヒロシさん、ありがとうございます。
ソネブロ、重いのに、うんちくが長過ぎますね。(^_^ゞスミマセン
ルールやマナー以前の問題ですね。常識がなさ過ぎます。いずれ天罰が下るものと・・・
★京男さん、こんにちは。
郵便局に関しては、ぜひ修復、保存して欲しいです。
ヴォーリズ建築は内装も素敵ですから、見てみたいです。
★たいちさん、ありがとうございます。
ついでがあれば行ってみて下さい。
期待して行くと・・・ガッカリかも。
★kansai-ginさん、ありがとうございます。
「ヴォーリズ通り」は、まだ新しいのかもです。
住んでいると見過ごしていることって多いですもんね。
あのジェットスキー、仲間内でも誰も注意しないのかな?
禁止されていないからと言って、やってもイイことと悪いことが判断できない連中が居ると、まともな人達も避難を受けたりしますから・・・困ったもんですネ!
by 路渡カッパ (2013-07-07 14:56)
学生のころ、ヴォーリスの建築をよく見て回りました。
心斎橋の大丸もたしがヴォーリスの設計でしたね。
滋賀県立大学で彼の設計した原図を見せてもらったことがあります。
by しばちゃん2cv (2013-07-07 16:21)
凄い方がいらっしゃったんですね!
映画のセットに見える和洋折衷の建物もありますが
ヴォーリズさんは凄い方ですね。
by Hide (2013-07-07 17:17)
★しばちゃん2cvさん、ありがとうございます。
ヴォーリズの作品は多岐に亙ってますね。心斎橋の大丸も京都の大丸もヴォーリズです。
京都では大丸社主の下村正太郎の私邸も手がけられてます(今の大丸ヴィラです)。
滋賀県や京都はヴォーリズと縁が深いですね♪
★Hideさん、ありがとうございます。
明治・大正・昭和初期の洋館建てが好きで、気にしているとヴォーリズに突き当たりました。
特に滋賀や京阪神では、アレもコレもそうだったか!と言うほど現存しているものですから。(^_^ゞ
ヴォーリズ氏の建築作品は、どちらかというと素人っぽいのかな?本格的な教育を受けたものじゃ無いようですし、ただアーリーアメリカンというかコロニアル様式の建物や装飾はとても素敵だと感じます。
氏がその名を留めているのは、建築家以上にその生涯において成した様々な偉業でしょうね。
by 路渡カッパ (2013-07-07 21:48)
こんばんは。5枚目の建物、おもしろいですね。これこそ和洋折衷の鑑というべきものかも。メンソレータムは家庭常備薬として子供の頃からの必携品で、普通は略称のメンタムと呼んでいました。近江兄弟社の社名はそういう意味だったのですか。昔の米国の社名では,○○ブラザースという社名がよく見受けられたので、そういうものかと思っていました。権利関係は分かりにくいですが、今でも「近江兄弟社」の方を買っています。
by sig (2013-07-08 00:42)
たいへん興味深く読みました。近江八幡のヴォーリズの建物は
見ましたが、今津にも多く残しているのですね。
太平洋戦争のときも、日本にとどまったアメリカ人は数少ないでしょう。
by kohtyan (2013-07-08 10:04)
(○´∪`●)φ...【ォハョゥゴザィマス】お悔やみのお言葉を頂きありがとうございました。
by チョコシナモン (2013-07-08 11:54)
★sigさん、ありがとうございます。
和洋折衷、迷った時はスッパリあの手も良いかもですね。
メンタムにオロナイン、定番の常備薬でしたね。あ、それに赤チンも・・・
私もてっきりこの社名はブラザーズかと思っていました。「人類皆兄弟」からきていたとは!ですね。
そう言えばメンタム切らしてるな、どちらを買おうか迷いますね。(^_^ゞ
★kohtyanさん、ありがとうございます。
今津の「ヴォーリズ通り」この3軒だけだったので、ちょっと期待外れでしたが。
いずれもヴォーリズらしい建物でした。
戦時下では難しい立場だったでしょうね、強い信念と日本を愛する気持ちがあったのでしょうね。
ただの実業家で無いことだけは確かだと思っています。
★チョコシナモンさん、こんにちは。
長年共にしたペットを亡くすのは、辛く悲しいことでしょうね。
でも元気出して下さいね。その方がリズちゃんも喜んでくれるはずですから。
by 路渡カッパ (2013-07-08 16:50)
知らないことだらけでとても面白かったです。
今度からは近江兄弟社製の方にしてみようかと思います。
それにしても魅力的な町並みです♪
by Cazz (2013-07-10 09:37)
★Cazzさん、ありがとうございます。
コメント、見逃してました。(^_^ゞスイマセン
メンタム、製品として昔からのものを受け継いでいるのは・・・どちらなのかビミョーです??
大メーカーじゃなく近江兄弟社を応援したくなりますけれどね。
ヴォーリズの建物は庶民的でもあり、風情がありますね。
by 路渡カッパ (2013-07-31 09:36)